§ 黒龍の護る鳥 §


story



*
 かつて興った、ひとつの国がある。
 
 四方のうち三方を他国に囲まれ、残る一方で白く高く聳え立つ北の山もまた優しくは無い。しかしその国はけして他国に侵略されなかった。けれど其れは国が強かったわけではなく、また、周囲が無欲の聖者であったからでもない。
 四方を閉ざされた国土は、誰の欲もそそらず、故に、ほしがられなかったのだ。其処は寒く、死霊の侵す土地と忌避されていた。ふいに病が起こりあっけなく人が死ぬ。草は、一年を通じて褪せた色みをしていた。
 いつ来るとも知れない、峡谷に吹き荒れる死の風。ゆえに欲しがられない痩せほそった大地。― だった。
 それでも、その土地に国を打建てた民は強く生きた。生き続けた。国土を捨てず、風を受けようと。
 神に媚を売ったわけではない。誇りを見せつけたわけでもない。彼らはただ、産土の地で生きて、死のうとしただけのこと。他にゆくべき場所が、見つけられなかった。

 どれだけの時を経たであろう、ある年の冬。病に命をこそぎ取られてゆくうちに、国を成り立たせるに必要なだけの民の数が、絶対的に不足し始めていた。
 這いよる死に王位継承者すらも失いかけ、喘ぐ小さな王朝。

 国に死期が訪れた。
 ― あまりに早かろう、まだ数代ぞ。
 病んだ玉座に、声が零れた。

『この國はまだ終わらぬ』
 ひとりの男が、幼い少女を王に引き合わせた。
『神の起こした楽譜を手に入れた。奇蹟を、― 試してみるといい』

『…さ。』
 男は囁く。少女に、何かを促すようにやさしく。
『うたえば、いいの?』
 あどけない大ぶりの瞳が、男を映しこんでゆっくりと瞬いた。
『ああ』
『わかった。きいていてね。そっぽむかないでね』

 其の日、国が変わった。


 民が見上げる太陽はただ天高くから土をあたためるもの、彼らをくるむ温もりは朝焼けに先駆けて夜のうちに国をひたす。やわらかな漣は都から来るもの。王宮の庭。
 ― 蒼い月光のもとで歌う、ひとりの少女のうたう唄。
 興国の民に、神が伸ばした指先はきまぐれだったのか、それとも、慈愛であったのか。彼らに与えられたものは、うつくしい声。死を祓い、健やかなる生を約す。

 どんな方なんだろうね。多くの民は何も知らず。
 素敵な方よ。そして皆がそう慕う。

 『神の唄が、国をお救いになった。唄が、国を、我らを、育ててくださる』

 顔も名も知らぬ少女を、無心に慕う国。ひとの子の力では成しえなかった奇蹟を崇めた。

 神に愛された土地は王家が代を重ねるごとに拡がりを見せるようになり、いつしか大陸はひとつの王家に統べられていった。
 唄姫を国の柱に囲った小国が、大国となった。



 其れはもうずっと遠い、国の抱くふるい記憶。此れを語る王宮に残る古書ですらも純粋なる真実ではないほどに、古いこと。
 神代の話だなと人々は笑って。平穏に眠り、史実を探ることをしなくなった。ひとには畏れもあっただろう、神の行いとしたものを悪戯に暴けば、恩寵が消えてしまうかもしれないと。

 あの頃の国土は、産土の地として国の端にひっそりと残った。
 王朝は連綿と継がれ、国は領土を随分と広げた。

 目を眇めても、国の中央、都からはもう国土の端など見えもしなくなった。

 大陸の涯てまでも続くかと思われる道が幾本も伸びゆく。始まりは何処か、終着は何処か。きっとすべての道は空に続く大地の涯てに繋がるだろう。
 流れる雲を追って旅することに許可など要らない。広がる大地はすべからく彼らの国であるのだから。

 国の柱、頼るべき芯、其れに燈が灯され続ける限り、国は、永久に生き続ける。
 唄は地脈を泳ぎ、すべらかにそよいだ。
 なめらかな草波が、蒼穹とともに何処までもそのあざやかな色を連ねていく。



 けれど、王家の者は誰よりも早く知ってしまった。悟らざるをえなかった。産土の地、あの北方に隠蔽されていた病が、国土の拡がりとともに大陸を蝕んでいったことを。
 唄があれば、国は救えた。
 あの唄さえあれば、国は死なない。

 ゆえに、国は唄をうたえる少女、『唄姫』を保有しつづける。
 ― 王宮の庭に、飼いつづけた。

 力ある娘を初めて城へ献上した男と、男に連なる一族は稀有な能力を持っていた。神の唄を捜し当てる力を。引き寄せられるように、唄姫を見つけてしまえる彼らもまた、天与のものをその身に刻まれたのか。
 国は、無論、彼らをも取り込んだ。

 凍土と興国の民の血脈に閉じ込められていた病を大陸全土に解き放ってしまった罪を、隠し続けるそのためにだけ。

 しかし、その事実は忌まわしきものと封じられ、後世の王たちは何に気付くことなく知ることなくただ純粋なる安寧を望み、唄を求めるようになった。― 罪は隠され、風化した。

 古の為政者により根絶された真実を手に入れるすべはもう無い。



*
 土と埃に薄汚れた靴が、石づくりの回廊に敷かれる深紅の毛氈をうっすらと汚していく。
 軍服の男二人が犯人だ。先を行く方は、随分と着崩した格好をしている。
「…長、隊長ってばッ。靴、靴!汚しすぎですよ。うあー…もう、点々と泥はねがぁぁぁ…!昨日雨だったんだから、軽く水で流すくらいやっといてくださいよっ」
「次の日、王宮に呼びつけられるなんて知らんし」
「備えあれば憂いなしッ!…ってゆーか普通は個人的な嫌悪からそういう汚れは即、日、落としたくなるもんなんですけど。気にならないんですか…?」
「あーっ、うるせェ。もうどうでもいいだろ?!この際。”可及的すみやかに招集”かけられてんだ。んなもん構ってられんだろ」
 言っている男自身、薄汚れていく床にまったく心が痛まないわけではなかったが、急ぎというなら、落としきれなかった靴の泥くらい大目に見てくれるだろう。そんな風に考える。
 隊長と呼ばれた彼は、少々若さが抜け始めた年齢の男だった。精悍な顔つきに、軍服が良く似合っている。
 高級そうな調度品に、磨きこまれた大理石の壁に床、其れらに何の興味もなさげに男の視線はただまっすぐに廊下の奥を目指している。一心不乱な足取り。
「ったく…あんの姫さんときたら。ちったぁじっとしてられんのかね」
 男の後ろ、追うように付いている青年は離されないように隣を維持した。
「今日も今日とて、ってやつですねー。頑張ってください隊長っ」
「……まあ、ほどほどに」
 何をか想像し、男は気だるそうに相槌をうつ。
「ほんと、隊長だけが頼りっすから!」
「たよんな。頼むから頼るな。俺はお前らに全てを押し付けられて胃が痛い」
 短めの前髪を乱暴に掻き揚げつつ、胡乱な眼差しをことさら露わに横流す。その男の部下らしき青年は、困ったふうに微笑った。
「…だってね、あの赫い目で、俺らを見て言うんですよ。『あなたたちが護れるものなんて他に幾らでもあるでしょう、たくさんたくさんあるでしょう?彼の仕事を取らないでちょうだい。あれにはね、私くらいしか構うものが無いんですって。だから』って。もー、愛されてますね隊長!」
「いや、それ俺じゃないから」
「え、違うんですか…!」
「…そんなだから姫さんに好かれないんだよお前は。どこをどう見たら俺が候補に上がる」
 半眼で、ひらひらと片手を振った。つまらんことを、とでも言いたげに。
「別に好かれなくていいですから。あんまりあの子のこと見てませんから」
「はっきり言うなぁ」
 顎を掻けば剃り残してしまった髭に爪がかかり、どうにもやるせない気分に拍車がかかった。
「だってそうでしょう、唄姫に望まれるのは唄だけです。本人の人となりなんて誰も気に止めない。あの唄をうたえる喉だけが必要なんだし。我儘勝手なお嬢さんそのものには関わりたくないんですよね」
 目的の部屋に至る、最後の角を目前に二人の足が止まった。
「ま、…否定はせんけど。あの姫さん気難しいしなぁ」
「だから隊長だけが頼りなんです!お姫様にぶつかって玉砕してもめげない姿を見守ってます頑張ってください」
「俺を物好き扱いするな?そしてさりげなく背中を押すな?」
「すみません、俺が隊長を見送れるのはここまでです」
「見守ってくれるんじゃなかったのか。数秒前の言葉は嘘なのか」
「本心ではありますが本気とはいえない感じです」
「…もういいよお前」
 力無く項垂れる。上に立たねばならぬ己の哀しさに、心中深くで涙したくもなるものだ。
「はい!それじゃあお先に上がりますお疲れさまでしたっ」
「そういや、今日は東の大通りで市が立つ日か。やけに半休取りたがる奴多かったよなあ…。ま、希望過多で、だいぶ蹴落としてやったけど」
 最後はクジだったような気もする。面接してまで審査するのも面倒になったからだ。結局のところ、希望が通ったのは数人に満たない。彼らの役職を思えば、当たり前といえば当たり前なのだが。
「ちなみに俺は勝ち組です!」
 揚々と脇から上がる声に、男はがっくりと頭を垂れた。
「うん、あのな。それほど平和でないからこの国。国境じゃ人殺してんだよ。頼む、もう少し気ィ張ってくれ…!」
「都には何も影響ありませんよ。だって、唄に一番近いから」
「真ん中さえ安全ならイイってもんじゃない」
 睨んだ。すると青年はひどく冷たく微笑った。
「俺たちに何が出来ますか?」
「…。」
「お姫様、もうちょっと真面目に働いてくれないもんですかね。…国の端が飢えてる」
「話、聞いてくれそうなら言っとくよ」
「お願いします」
「うん。さっさと行けよ、彼女待ってんだろ」

 最後はきちんと敬礼して踵を返す部下をほんの少し見送る。
 そんなだからさあ、お前好かれないんだよ。心中に零れる自分の声の、苦さ。
 けれど、この国に生きる大部分の人間はあの青年と同じことを言うだろう。男は解っている。彼の考えを否定することは、生きるこの世界を敵に回すようなものであると。
 異端なのは自分のほうなのだ。
 唄は、何もかもをは救えない。唄で、すべては助けられない。ひとは、ひとによってしか癒されないことがある。神は居たとて、掴みもできないその腕が、どうして人を助けられると信じるか。
 唄に微睡わぬ己は、さぞや世俗を冷めて見ているに違いない。

 重い息を吐き捨てて、男は角を曲がった。


「…で?また姫さんは脱走か?」
 渋く唸りながら髪を無造作に掻き毟った。
「元気で宜しいじゃないですか〜」
 半眼で溜息を吐く男を間近に迎えてもなお、嫌な顔ひとつせず華やかに笑むのは、年若い娘だ。その笑顔をじとりと眇めみて、男はさらに肩を落とす。
「…お前ね。仮にも姫さん付きの侍女なら止めてみせろ。仕事する気ないんなら首にするぞ」
「えー…そんな権限ないクセに威張らないでほしいでーす」
「ぐっ…!」
 言葉に詰まる男に、侍女はかろやかに笑んだ。
「それにそれに、だいじょぶですって!だってロンがついてますもん」
「龍ね…あいつも苦労するよなあ……。なあ、お前、ほんっと解ってるか?万が一にもあいつが過労で倒れたらな、十中八九お前に責任あるから。侍女の仕事まで任せてやるなよ…。あいつ、女とガキの扱いは得意じゃないんだから」
「お着替えとかはさせてませんよぉ」
「当たり前だ!つーか今そんな話してねぇだろ!?」
 大声を出されたというのに、侍女はくすりと愛らしく微笑んだ。
「はいはい、隊長さん、怒っちゃやですー。あのですね、ロンとは結構うまくいってると、わたし思いまぁす。仲良しさんですよっ」
「…俺にはそう見えんが……」
「はあ、わりと隊長さん、にぶそうですもんねぇ。だから姫さまに煙たがられるんですよぉ」
「るせェ。…龍が、この現状を甘んじて受けているようで哀れだ」
「おばかさん」
「はぁ?!」
 軍人が鋭くなければならないのは血腥い匂いだけであり、子どもの嗜好を理解することではないのだ。其れを何故、つまらなさそうに蔑まれねばならない。
「あーあー、確かにな、俺には一生、わかんねェよ。あいつらの間にある”何か”なんざ、他人に推し測れるもんじゃない」
「姫と護人は、特別なもの」
 ぞっとする響きだ。うたうように口にする娘を前に、男はそう疎む。
 ― 国を立ちゆかせるためにある、其れは鎖だ。
「そう、姫と護人は、特別なもの。…でもぉ、この場合、またちょーっと違ったトクベツ、がお二人にはあったりするんです。おわかりには、なられないんでしょうけど〜」
「嫌味か。なあ、それは嫌味か」
 距離を詰め、笑顔で凄めば、するりと侍女は身を退いた。彼女の笑顔はやんわりとしたまま崩れなかったけれども。
「― っと、こんなお話続けてるわけにもいかないんでした。姫さまが居ないのを良いことにお部屋をお掃除したいものですから、わたし、失礼しますねぇ。隊長さんも、お仕事されないと駄目ですよー?」
 駆け引きは終いと決め込まれたようだった。男は、肩から力を抜く。
「はいはい、わぁってるよ。ま、どうせお前がバタバタしてないってとこ見ると、姫さんはまた外なんだろ?」
「はい、ご名答です〜。わたしのお仕事は、あくまでお城の敷地内に留まります。お外に出られた場合は対処しておりませんの」
「…面倒くさい。あの小さいのをまた捜して引き摺り戻さなきゃならんのか…」
「なに言ってるんですか。おっきいのを見つければ直ぐですよー。姫さまはいつだって、ロンのすぐ傍におられますから」
「いや、龍”が”すぐ傍にいてくれてるんであって…」
「いっしょいっしょ」
「そうかあ…?」
 すさまじく意味が違うと思うんだが。男はそうぶつぶつ呟いたけれども。
 見れば、侍女は、にこにこ笑って楽しそうだ。其の表情に、ふ、と男が力を抜いて笑った。毒気ぬかれるよなあと心中に零して、男は軽く伸びをする。
「そいじゃ、ま、追いかけっこに混ざるとするかな」
「いってらっしゃいませ」
「おう。ちょっと行ってくる」
 ひらひらと手を振って、その場を去った。

 これから男が追おうとしているのは、この国の宝重たる唄を奏でる少女だ。
 居て貰わなくては困るから、だから追う。

『ねえ、あなたたち。そんなに《私》が必要なの?唄さえあればいいくせに、私なんかいなくたっていいくせに、どうしてそんなに必死なの。私にやさしくしたって意味無いのよ。私に頑張ってみせたって意味無いのよ。私のために必死になる意味なんてどこにも無いんだって、あなたたちはいつ気付くの?』
 ふいに脳裏に響いた綺麗な声。突き刺さる言葉に、男は口の端で、苦く微笑った。

 いつだったか、そう、逢ってすぐの頃ではなかった。《此処》に連れてこられて暫くは、少女もそれなりにおとなしかったから。
 しかし、そうこうするうちにとんでもない本性に手を焼かされる羽目になり、今日のようにすぐに姿を眩ませるのを追いかけさせられるうち、言葉を交わすだけの面識が生まれた。
 そしてある日、柘榴を思わせる赫い瞳が男をまっすぐに捉えて、ああ言ったのだ。莫迦みたいだと、彼女と彼女を取り巻く世界を評しているように聞こえた。
 薄い溜息が口の隙間から漏れた。思い出すだけでどうしようもなく、疲れた。この男を疲れさせるのは、見た目だけはひどく美しい少女だ。唄姫と呼ばれ、自由意志などという余分なものをすべて毟り取られ、王宮の庭に囲われた。飾り立てられ、豪奢な鳥かごに篭められた哀しい娘。
「意味は無いんだろうけどよ。…俺ら兵隊っつーのは、高貴なるお方に飼われて生きてるよーなもんなんで」
 あの時、自分はこう答えた。
『それでも、お前のためだけに必死にならなくちゃいけない奴がいるんだよ。泣けるくらい、必死になっちまう奴がな。…俺は、そいつに付き合ってる』


 廊下の角を曲がったその時だった。
「言い忘れてましたけどぉー、たーいちょーさーん!今日は、そうですね、東の大通りですよぉー」
 のんびりとした、無邪気な声。
「……行き先しってんじゃねぇか…」
 男のこめかみがかなしく引き攣った理由を、彼女はきっと理解しないだろう。
 重苦しい溜息を吐いて、ふと、男は眉を顰めた。
「― 東の、大通り?待てよ、そこって確か今日は…」
 男の表情が真摯なものに変わった。
「ああもう面倒くせぇ姫さんだな…ったく、もうちょっと立場や身分っつーモンを考えてほしいもんだがッ!」
 がりがりと頭を掻くのがクセなのか、舌打ちをおまけにつけて、男は走り出した。
 ― 頼むぜ龍、しっかり首根っこ捕まえといてくれよ…!


*
 白亜の建物と、小さな森をも抱えるうつくしい広大な庭園がある。庭を取り囲む白い石壁は高く、その外側、太陽とは逆側の路地にはまっすぐな陽光の届かないほどの壮麗さを誇っていた。

 陽の射し込みの浅い、薄暗く狭い路地をせかせかと歩く少女がいる。ほっそりとした肢体はぬけるように白い肌をしていた。そして、紅玉の双眸。まだ女の匂いには乏しいものの、瑞々しい華やぎがその大ぶりの瞳を輝かせているために、えもいわれぬ魅了が香っていた。その紅い眼は、柘榴の瞳だ。
 顎のラインで揃えられた薄く透けるような金の髪が、淡く伸びてきた陽射しに包まれてやわらかくつやめく。

 路地を歩くは、少女だけではない。もうひとり人間が居た。
 急ぐ足取りの少女の直ぐ後ろを、ゆったりとした歩幅で付いてくるのは長身の男だ。30には些か遠いが、もう少年という時代はとうに過ぎた顔立ちをしている。
「雀」
 低く、落ち着いた良い声だ。その声音には、何かを捕らえるような響きがある。
 けれど少女はその声には囚われようとしない。歩調が早まった。当然、後ろなど見向きもしない。

「……何度言ったら解るのよ。私、そんな名前じゃないわ」
 少女は小声で背後を罵った。
 ― 私には、ラウィンという名前があるのに。
 字で書けば、『琅瑛』。あてがわれた文字も、声に出すときの響きも、好きだ。
 其れを、後ろの男はどうあっても呼ぼうとしない。口にしようとしない。
 …なんだか、軽くあしらわれているようで気に入らない。
「なによ、雀って」
 少女は男の口にした言葉が嫌でしょうがないのだ。

「…雀」
 この男は、むくれる少女のことを『琅瑛』と呼ばない。
 庭に遊ぶ小鳥の名でしか少女を表現しない。
「雀、聞いているのか」
 男が、細身の少女の脇をすり抜け前に出た。
 少女の行く手を防ぐように、男がその身で路地を閉ざす。丈の長い黒衣の裾が翻り、そしてゆるやかに元に戻る。
 見下ろしてくる、にこりともしないその無愛想な表情を、少女は首を逸らし綺麗な瞳を眇めて、ねめつけた。
「…雀」
 男は軽く腰を屈め、少女の繊手を取った。そうして膝を折り、見上げるように少女を前にする。
 少女の瞳は、煌めくうつくしい紅玉だ。相対する男の目は、採光性のひくい漆黒。深い闇の色をしている。その目は感情を滲ませず、故にものを言わない。ただ眼前の少女を映すだけだ。
「なぜ聞かない」
 ぐっと距離が狭まる。鼻先が触れそうに、近い。
「聞きたくないの!…ああ、もう…っ!またなんでそう顔を近づけるわけ?!」
「耳もとで喋ってやれば聞こえるだろう。どうやらお前の耳は、離れていると遠くなるようだからな」
「だからっ!き・き・た・く・な・い・の!」
 耳に刺さるような声音だった。男の眉間、わずかばかりに皺が寄る。
「……何がそれほど気に入らない?」
 少女の整った柳眉が、ぴくんとはねた。
「全部がよ!どうして雀って呼ぶの。私、その呼ばれ名が嫌い」
 しろい頬がうすく赤みがかり、人形の其れに似る薔薇色のようだった。
「好きや嫌いは関係ない。俺はお前の名を白日のもとで口にすることは赦されていない」
「だからって、どうして雀なの、って聞いてるのよ!!」
 ― 文がまるで繋がっていないな。
 男は心中にそう愚痴ったけれども、口には出さない。出せばきっと火に油を注ぐことになるのだろう。
「好きに呼べ、と言ったのはお前だろう。…だから、俺は雀と呼んでいる」
「私のどこを見たらそういう呼び名が出てくるの」
 男は、その漆黒の目で少女をじっと見た。
「中を」
 静かに淡々と喋る男だ。さも当然と言いたげに、澱みなく。

 かあっと少女のしろい頬が目に見えて紅潮する。

「ふざけるのはたいがいにしなさい、僕の分際で過ぎた真似を!」
「……」
 男は黙っている。その、感情の窺いにくい漆黒の目で、少女を見つめるだけだ。
 す、っと男がこうべを垂れた。
 ふいに。少女の顔が、くしゃりと歪んだ。怒りに哀しみが混じり、紅玉の双眸が光を眦にきつく滲ませる。
「嫌いよ。あなたのそういうところ、大嫌いよ。どうして黙るのよ、ねえ、ここで黙る必要なんてないじゃないの。あなた、私の僕なんかじゃないのに。あの者たちが勝手にそう言っているだけよ。あなた、あいつらのいうことなんて聞かなくていいのよ。私のことだって名前で呼んでいいの、呼んでいいの!なのにどうして、あの者たちの言いなりにはなるくせに、私の言うことは聞いてくれないの?!坤龍(クンロン)ッ!」
 綺麗な色をした唇から一気にこぼれ出る言葉が暗い路上に散らばる。
「…我が主」
 先ほどまでは感情の殆ど馴染まなかった男の声が、どこか微睡みを帯びた。

 ― 坤(コン)、とはどこまでものびている大地を表す。ふたりの居るこの世界この國の有り様とは、すなわち坤だ。果てなき国土は地平線の彼方まで続く。
 ならば坤龍と呼ばれる男は、この、広大な國において唯一無二のものをただ護るべくして生まれた龍だ。
「俺は、お前のものだ。お前のものになると、俺自身が決めた。…あいつらの言いなりになったわけではない。この身に流れる血は、雀、お前以外の誰をも主と認めない」
「だったら!私のこと、らう」
 男の手が、少女の唇をふさいだ。男の掌を、あたたかな吐息が掠めて篭る。
「……言ってはいけない。其れは、このようなところで明かされてはいけないものだ」
 少しの間を置いて、そっと、手が離れる。
 少女の唇はなおも何か言いたげにわなないていた。けれど、想いはただその紅玉の瞳にものを言う。
「おかしいわ。この國は、変よ。ひとの名前すら満足に呼べずぞんざいに扱っておいて、そのくせ頭を下げるのね。助けてください、って言うのよ。助けを請うた者の名すら知らぬくせに」
「知ってはいけないからだ、雀」
「どうしてよ」
 男の手が、少女のほそい首筋に触れる。両の掌を持ってすれば、簡単に握りつぶせそうにやわらかな白い喉。
「言霊は、さきわいをもたらすものばかりではない」
 男の目が、どんどん黒みを増し、そして閉ざされる。
「小鳥を殺してしまう毒を誰かが持っている。その喉を潰そうとする者がいる」
 閉じられた男の双眸は、何を視ているのだろう。瞼に妨げられて、少女は知ることを赦されない。
「ならば俺は、お前の名を陽のもとで口にすることはけしてない」
 男の瞼があがる。
「呼んでよ。…一度くらい、いいじゃない、一度くらい……」
 あざやかな陽射しの下で呼ばれてみたかった。くろがねの龍は、性格はともあれ声は良かったから。
 呼ばれて、みたかった。
「…雀があの庭で唄い続ける限りは、呼ばない」
「龍…っ」
 だが噛みつきかけた言葉は立ち止まり、少女のうつくしい瞳が、大きく見開かれる。
 男が、ひどくやさしい笑みを向けていた。
 ― 滅多に見られるものじゃない。
 あまりに珍しいものを目の当たりにして、少女は胸が苦しくなった。今すぐ耳を塞ぎたい衝動に駆られた。
 開きかける男の唇。
 聞いてはいけないことを言われるような気がした。
「雀、よく、聞け。誰かに名を呼ばれたければ庭を出るしかない。そして、出たければ、いつでも俺に言うといい」
「…あなた、自分が何を言っているか解っているの」
 少女の顔色が蒼ざめた。男が口にした言葉は、その立場をあっけなく瓦解させるものだ。冥府の扉に自ら手をかける愚かしさに、少女は恐怖した。
「主に唆される前に、罪を犯そうというの…?莫迦でしょう、あなた。言われたことが無いなら何度でも言ってあげるわ。あなた、莫迦よ。取り消しなさい。取り消しなさい今すぐ!」
 少女に襟首を掴まれ、幾度も罵られ、諌められても、男は前言を撤回することはなかった。少女がめいっぱい揺さぶっても、よわい力では男の黒髪がたださらさらと流れるだけだ。強い言の葉は、こんなにも近い距離にいるのに届かない。
「庭を出てしまいたくなったら、いつでも言え。俺が、どんなことをしてでもお前を外へ出してやる。だから、それまでは、お前が我慢しきれなくなるまでは、あの庭には俺が共に居てやる。いつでもお前の望みを聞けるように、俺はお前の近くに居る」
 少女は、指を男の襟首に絡めたまま言葉も無く佇んでいる。籠に囚われた小さな鳥を懸命に護ろうとするこのけなげな龍は、自分があまりに愚かであることに気付いていやしないのだ。本当は、大空を自在に翔けられるだけの力を持っているのに。其れを自ら封じて大地に立っている。
 可憐な唇が食まれて、内心の憤りを少女は懸命に抑え、噛み殺した。男の襟に幾重もの皺が寄った。
「…それまでは、雀って呼ぶのね」
「ああ」
「なら、私が望めばあなたは何だってするの?あの忌まわしい庭から、出してくれるというのね?」
 あなたは。
 ― 四肢を奪われ、首を刎ねられてもなお、その鳥を逃がすの?
 鳥を逃がせば、国中が龍を責めるだろう。怨嗟は醜い呪いの声となって、龍を殺しにかかるだろう。

 けれど少女は思いはすれど先を続けられず、口を噤む。
「その通りだ、雀」
 男は、少女の心を見透かしたように穏やかに言葉を紡いだ。
「お前が望めば、俺は如何様にも動いてみせよう」
「莫迦ね」
 紅玉の瞳にうっすらとにじむものを拭わずにいる少女の頬へと、男の手が伸びた。指で掬われるままに、少女は甘んじている。
「あなた、死ぬわ。私なんかと契約するから。そんなくだらないもののために、あなた、死ぬわ」
「では、雀。俺が死なぬようにあの庭で生涯うたうか」
「嫌よ。だって私、あの庭が大嫌いだもの」
 きっぱりと言い放った少女に、男はふ、っと口だけで微笑った。
「だろうな」
 男には解っていたから。鳥が、あてがわれた庭を気に入ってなどいないことくらい、とうに解っていた。
 だから言ったのだ。お前はいつでも逃げられると。いつでも逃がしてやれると。あの庭に連れて来たのは他ならぬ自分なのだから、庭から出してやるのもまた自分だ。男はそう思っている。押さえつけられ、すべてを諦めさせられるこの少女に、もぎ取られたものを取り戻すすべを与えてみせた。其れが出来るのは、自分だけだったから。世界を欲さず、主のみを欲し、生きるこの命は少女のためだけに使われるもの。ならば龍の生における選択はすべて主の望むままにと託される。
 されど男は多くを語ることはなく、静かに少女の言葉を待つ。
「でももっと嫌なのはね」
 あざやかな紅が、男を惹き込むように其処に在る。
「私ひとりが出ていけば、誰かさんが死ぬまで私を雀、って呼ぶことよ。だから私は、出てゆくとき愚かな一匹の龍を連れていくつもりだわ。そして、頚木を外され枷を捨てた龍に私の名前を呼ばせるの。…ねえ、良い考えだと思わない?」
 少女の朱唇がやわらかく笑む。しろい指が、男の両頬を包み込むように触れた。

「≪坤龍≫、― 龍の名を持つ者よ。そなたはかような小さな庭でなく、遥かなる果てまで続く大地をゆく存在。つくられし庭では死なず、豊かなる大地にして永遠の眠りにつくならば、そが定めし主に付き従い、この広き世界をいずこかまでも翔けるがいい。護れ、私を。いついつまでも」

 今度は、男が瞠目する番だった。― これは、呪だ。
 自分ひとり安全に抜け出すことを拒否する為の、呪だ。
「すず」
 少女の指が、男の唇を押し留めた。
「さっき、言ったわよね。あなた、私のものになったのでしょう?だったら、ずっと私といっしょにいなさいよ。私が飽きるまではあの庭に、私が耐えきれなくなったら外へ。いくの、いっしょに。良いわね?でないとあなた、私を雀としか呼ばずに死んでしまうのよ」
 男は、己の唇をふさいでいた少女の指を掴み、離す。
「別に其れでも構わんが。…お前が、嫌だと言うのなら」
 そのほそい指に口づけた。
「いつか来るその時は、傍にいて名を呼ぼう」
「真っ先に、呼ぶのよ」
「― 承知した」
 頷けば、少女はひどく倖せそうに微笑った。
 その笑顔を見て男は、自分でも良く解らない感情をもてあまし、一瞬固まってしまう。ややあって、少女がくすくすと微笑いながら
「あなたって本当、不器用よね。こういう時はね、わらうものなのよ」
 そう、言うものだから。…男は、請われてゆるく微笑んだ。


「では、今日のところは帰るぞ」
「嫌よ」
「…雀、その我儘は聞けない」
 溜息が吐かれた。
 男は今日この日、街にとても人出が多くなると知っている。
「あのね、龍?今日は東の大通りで市が立つ日なのよ。其れはもう盛大なんだ、って話に聞いてからずっとずっと楽しみにしてたの」
 ― 知っていたのか。男の眉間に、なんとも言い難い皺がうすく浮かんだ。誰に聞いた、と問いかけて、少女の傍近くに控える賑やかな侍女の笑顔が真っ先に思い出された。鬱陶しいことこの上ない。
「だから城を抜け出したのか…」
 男の声が、重くなる。
「そうよ。ねえ、連れて行ってよ。見てみたくてしかたないの」
 傲然と男を見下す様は、まだまだ子どもだ。
「駄目だ。人ごみは」
 きつく差し止めれば、少女の唇が目に見えて尖った。
「いいわ、頼まない。ひとりで行けるから」
 するりと身を翻し、別の道をゆこうとする。
「…雀!」
 立ち上がりしな男の腕がさっと伸び、背後から少女の躰を抱きかかえた。背をかがめ、上から見下ろす男と、抱えこまれて下から見上げる少女の視線がかち合う。
「なによ。…いいこと?連れてもどっても、私、また抜け出すから。ぜったいぜったい、市を見に行ってみせるわ」
 いたちごっこよ。そう軽やかに嘯く少女に、男は深いふかい溜息をつく。
 どうあっても出て行くと言い張るならば、男の仕事は変わらない。違うのは、下手に彷徨われるのを必死で捜し回るか、付きっきりで供をするかの苦労の量だけだ。ならば、気苦労のまだしも少ない(と思われる)後者がいい。
 そう無理やりに納得をつけて、男は良いだろう、と許可をした。其れはもう苦い声音だったが。
「……少しだけだぞ。それと、俺からけして離れるんじゃない。守れるか、雀」
 紅い柘榴の瞳が、冷めた眼差しを男に差し出す。
「知らないわ。”あなたが”私から離れなければいいことだもの」
「…」
 薄い唇が、微かに引き結ばれたのを少女は見逃さなかった。
「そうでしょ」
 だから、確認を取った。
「…」
 しかし男から返答は無い。整えられた少女の眉が、きゅっと攣りあがる。
「そ、う、で、しょ、?」
 一字一句を区切る唇は、まさに小鳥の嘴に似る。今にも突かれそうで、男は内心、顔を顰めた。
「― そうだな」
 負けだ。ものの見事に、負けている。
 しかしそれでも、表立っての男の表情はあくまでもどこまでも無愛想だった。
「…張り合いないわね。まあ、いいけどっ」
 細く目を眇めたのはほんの一瞬で、次の瞬間には、華やかなひかりが少女の瞳を輝かせていた。

「さあ、いきましょ龍!」
 抱きとめられていた腕をはたいて檻をこわし、少女は抜け出す。勢いあまって上体が傾ぐのを、無理に支えずターンして、少女は優雅に男に向き直った。
「龍」
 す、っと手が差し出される。僅かにしな垂れた指先は、最上級のビスクドールを思わせるほどひどくうつくしかった。
 綺麗なその手を取ることを、男が躊躇した理由をきっと少女は知ることないだろう。
「ぼうっとしてないで、エスコートなさい。― 私の≪龍≫」
「…かしこまりまして」
 立ったままでは当然、己より身長の低い少女の手を男が取れるはずもない。腰を落とし、片膝をつく。
 慣れた手付きで、男は少女の指に己の指を添わせて、そっと握りこんだ。男の手にすっぽりと収まってしまうほど、少女の手は小さい。そして、ほんのりとあたたかかった。これは、小動物の、熱だ。男はもう遥か昔に失った、ちいさきものの証。いま、護るべきもののぬくみだった。
 無意識に、親指の腹で線をなぞるようにそのほそい指を撫ぜていた。
 少女がひくりと指を攣らせた。手入れの行き届いた爪が、男の掌を引っ掻いて甘い痒みを一筋残す。
「……また尖らせたな」
 じんわりと筋をひく感触に、他に言うことも無いのか男はそう呟いて。少女の爪をただじっと見つめている男は、その周囲、指先がほんのりと赤らんでいるように見えて、顔を上げた。
「私のしたことじゃないわ」
 男を見下すその紅玉の双眸。色みを合わせるように、うすく染まるは耳朶。
「そうだな」
 けれど男は、少女の躰に熱を這わせたのが己であるとは考えもしないでやはり、淡々と応える。
 男はそう、目の前に居るちいさきものが色づくのを素直にうつくしいと思うだけだろう。
 少女の手を取ったまま、男は立ち上がる。
「雀、市でものを触る時は気をつけろ。…爪が折れると、あの娘に煩く言われるからな」
「…」
 ふくよかな唇を動かさない少女に、重ねて男は、雀、と呼んだ。
「わかってるわよ」
 不機嫌極まりない声音で返答がなされた。
「なら、いい」
 少女は何がそんなに気に入らないのか男にはわからない。だから、首を傾げて静かに瞬いた。


 龍が護るこのちいさき鳥は、綺麗な見目をし、とても良い声でうたう國の宝重だ。だがその愛らしい見かけに包まれた中身は、気分がころころとすぐ変わる。かといってその機嫌を掴み損ねると手痛い叱咤が遠慮無く飛ばされてくる。今ここに居たかと思えば、次の瞬間には飛び跳ねてしまうのを追えば怒る。そのくせ、ずっと傍に居ろとふいにこの袖を強く引くのだ。
 そういう良く解らぬものにはたぶん、関わらないほうが良いのだろうが、けれど男は少女のものになると決めたあの日から、離れることなく傍に居る。
 自らの意思でそう決めたのだから、龍のあざなを下賜された男の見るものは天でもなく地でもない、その中庸で風を受けるこの少女のみだ。

「雀」
「…」
 少女がすっと顔を上げ、男を見る。
 うすい金色を帯びる髪が、耳もとをゆるやかに流れた。
「…やっぱりそうよ、ぜったいそう」
「? 何がだ」
「あなたの趣味は良くないと思ったのよ」
「そうか」
「…変える気もなさそうね」
 拗ねてふてくされる少女は、男の頬に向かって手を伸ばす。
「慣れた」
「当たり前でしょ、毎日連呼するその口には馴染むわよ」
 男の口元にふれる、温度の高い指先。磨かれた爪に掻かれないのは、少女が気を使っているのだと解った。されるがままに、男は身じろがない。腕が疲れたのか、少女が溜息をひとつ付けて指を離すまで、ずっと微動だにしなかった。
 あたたかくてすべらかな指に触られるのは、嫌ではないから。
「…もう良いわ。考えろ、って言ったって、きっとろくな候補も出ないでしょう」
「たぶんな」
 少女が短く息を吐き捨てた。
「……私、あの庭が嫌いよ」
「知っている」
「でもね、あの庭を出たくて仕方ないのは、あそこが嫌いだからだけでは、ないのよ」
「…」

「あなたが」
 少女の澄んだ紅い瞳が、男だけを映している。

「あなたなんかが、ずっとずっと私を雀だなんて呼び続けるから」
 神に愛された喉から紡がれる綺麗な音が、男のことだけを話し

「だから私、ますますあそこが嫌いになるのよ」
 彼女を囲う国を悪しく語る。

「そうか。ならば俺は、國の嫌われ者だな」
「決まってるじゃない。だから私が連れて出てあげるの。でないとあなた、八つ裂きなんかじゃすまないから」
 愛らしい顔をして、少女は残酷なことを口にする。
「お前が出て行かなければ、俺はゆっくりと老いて死ねるが」
「其れは私がいやなのよ。龍が空も大地も翔けずに老いるだなんてありえないわ」
 私なんかのために。少女は、胸の奥に真実を押し込めてわらう。
「…とんでもない理屈だな」
「文句は言わせないわよ」
「ああ。其れは、聞かなくていい」
「変なところで引っかかるわね、あなたってホント」
「俺は、お前の言うことに返事をしているだけのつもりでいる。お前は、俺が黙るとよけい機嫌が悪くなるからな。― 学んだ」
 ふわりと、男が目元が和む。嫌味などない、無自覚の表情。
「…莫迦っ!」
「おい、雀」
「莫迦バカばかッ!どうしてあなたはそうなの、いつだって!私の機嫌なんて取らなくていいのよ、考えなくていいのよ?!今みたいにね、好きに喋って、勝手にわらえばいいんだわ。理由なんてなくていい。そんなもの、いらない。説明しないでちょうだい」
「雀っ」
 ふいに暴れだした少女の手首を掴み、男はあまりに軽いその躰を抱き寄せる。
「…ばかっ…」
 男の胸に額をなすりつけるようにして、少女は顔を隠す。
 その動きにさらりと髪が零れ、耳があらわになる。普段はぬけるように白い色をしている部分なのに、今この時はあわく染まるそこ。どうしてか目が離せなくなる。
「― …」
 ふいに、ひどくいとおしくなった。

 男は、こわれものを扱うように少女を包み、顔を寄せる。
「雀」
 少女の耳にふれるかふれないかで、そっと口づけた。

 なによ、と。か細い声が胸をくすぐるから。
 男はやさしく微笑って言った。

「耳もとで喋れば、良く聴こえるだろう?」


 莫迦、と何度目かの罵倒がしたけれど、男はそんなものでは堪えない。


 男が心底傷つくとしたら其れは
 ― 主と定めた少女に、いらないと言われたそのときだ。

 だから男は、世界をろくに知らない少女がどれほど身勝手に振舞っても構わないし、ひどくたわいない我儘を口ずさみつづけても其れをきちんと聴くだろう。
 必要とされているのなら、何があっても、何を望まれても、男はひたすら少女の望むように在るだろう。

 かの身に流れる血が、そうさせるのだから。― 國の柱と共に在れと。

 男にとって真に大事なのは、少女を縛る國の理などではない。一族の血脈が決め、己の心が定めた主に付いてゆく、ただ其れだけでしかありえない。


 ゆえに男は言ったのだ。
 庭から出たければ俺に言えと。少女の躰に絡みついた鎖なら、いつだって解いてやれるから。

 主の望みを叶えるために、この龍は生きている。


「お前は何も案じなくていい。俺はとうに、好きに生きている身だ」








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オンナノコ、は良くわかんないイキモノであるのだな。という趣旨のお話です。(なんだそれは)えっとね、少女に手を焼く青年が書きたくて書きたくて仕方なかったの…!

ふふ…!苦労しまくる龍がいとおしくてたまらないぜ!はは!(爽)
うん。雀、という呼称は其れはもうセンスが無いとわたしも思いますが。彼に変える気がないようなので手が打てませんどうしよう。…ほんのりカワイイから良いかな別に。

彼らにはずっとこんな感じでいちゃついてほしいと思います。うふ。


…あ。隊長さんをもっと出張らせたらステキかもしれない……。龍と隊長さんだとか、雀と隊長さんだとか、つまるところ隊長さんが絡むと明るくポップな話に出来るんじゃないかと思いました。隊長さんには声が嗄れるほど疲れていただきたい。
とまあそういうわけなので、削ろうかと思った隊長さんは生き残れたのです。(明かされる衝撃の真実)…未来がありそうなひとだと判断されて良かったネ。

そもそもこのお話に未来があるのかは定かでは無いのですが★


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