+++「押し問答」




 ――御先に、どうぞ。

 ――いつも、そうね?

 ――ええ。私は、付き従う者ですから。主を立てなくてはなりません。

 そう言って。やおら笑みを零す。

 ――涼浬は、いつもそうね?

 ――はい。…御迷惑であろうとも、是は譲れません。御理解頂けますよう…。

 ――むぅ…。

 ――雪花殿?…私は、貴方様を大事と仰ぐ身なれば。…全てが、誉れとなります。

 ――涼浬は、涼浬は…いつも、そうね。

 ――はい。いつ何時問われましても、変わらぬ答えです。

 それは、何時も何処でも…変わりなく交わされる会話。





 今日も今日とて。湯に入るは、どちらからか?と。

 涼浬が沸かしたのだから、涼浬が先に入るべきだと。雪花は言い。

 貴方様が御先に入るべきだと。その為に沸かしましたと。涼浬は言い。

 決して折れぬ涼浬に、雪花は今日も今日とて負けるのだ。

 「折角沸かした湯が、冷めてしまいます。…さあ、お早く」

 「……う。………行って、きます」

 沸かしてくれた湯を、無下には出来ぬ。そういう人柄であるからこそ、雪花は負けてしまうことを、本人は知らない。

 風呂場へ向かう雪花を、涼浬が微笑みを浮かべて見つめていたのも、知らない。





 「涼浬」

 湯から上がってきた主は、浸かる間に何を考えていたのか。

 では、次に。と足を運んだ涼浬の腕を、そっと引く。

 「涼浬」

 「はい、何か?」

 「…さっきは、涼浬の言うことを聞いたから。涼浬がお風呂から上がったら、私のお願いを聞いてね?」

 「……ええ」

 ――必ず、お聞きしましょう。

 口の端に、柔らかく親しみを浮かべて、涼浬はそう答える。

 ――きっとね?

 嬉しそうに、嬉しそうに。涼浬の主は、微笑って。

 ――きっとね?

 微笑って。

 湯上りの匂いを振りまきながら、去ってゆく。



 その様子を、思い出し。

 ――さて、どのような事を言われるのか。

 …胸の内が嬉しげに高鳴るを感じながら、涼浬は湯を被る。





 「只今、戻りました」

 きっと此処に居るのだろうと、見切りをつけた座敷は、それはもう大当たりで。

 声をかけて、襖を開くと同じに。

 「はやくっ!ね、はやく!!」

 急いた声が、…涼浬にあてがわれている部屋に軽く響いた。

 「何故、御自分のお部屋にいらっしゃらないのです?」

 問いながら、歩を進め。

 「眠くなっても、此処なら涼浬と寝れるから。…自分の部屋だと、涼浬は朝には居なくなってしまうから」

 答えながら、完全には乾ききっておらぬ髪を弄ぶ。

 「……眠くなるような事を、するおつもりなのですね?」

 「ダメ?」

 「…いいえ、拒む理由など。御望みのままに」

 ――それで、御希望のほどは?

 傍に腰を落ち着け。無造作に捨て置かれた布を手にとって、主の髪を優しく撫でるように、残る水気を拭き取ってやりながら、涼浬は問う。

 「あのね」

 ――あのね。

 二度繰り返し、少し、黙り。

 ――(…幼子を持つ母とは、このような心境なのだろうか)

 立ったことも無くその様な予定も無い、奇妙な心境を垣間見ながら。

 不思議に穏やかな心持ちで、続く言葉を待つ。

 「……これ」

 そっと差し出す掌が開き。其処には竹で作られた細い棒。

 「…耳掻き、ですね」

 「うん、耳掻きね」

 ――耳掃除、して?

 髪に触れる涼浬の手を押しのけるように頭が動き。

 ねだる瞳が、じーっと見上げる。

 …涼浬に、拒む理由も気持ちも無く。

 きっと、わかっているのだろうに。

 わかって、いるのだろうに。

 それでも。

 「ダメ?」

 見上げる瞳は、哀しげに。

 矢も立てもたまらぬ気持ちにさせられるその瞳は、いつも皆を困らせる。

 困らせるものだから、相手は直ぐにでも解決策を見出そうとする。

 「…いいえ、その様な事は。では、枕代わりに座布団をお持ちしますね」

 「どうして?」

 「…は?」

 涼浬は、当然の事を言ったつもりだったのだけれど。

 返る言葉は、どうにも。

 「……どうして?」

 「いえ、ですから…。座布団を」

 「だから、どうして?」

 お互いに小首を傾げ。

 ややあって。

 「耳掃除、してくれるのでしょ?」

 「はい。ですから、座布団を」

 また、暫くの間。

 「…膝枕で、してくれないの?」

 「…………」

 「…ダメなのね?」

 「………………」

 言葉が出なかったのは、嫌なせいではなかった。

 ただ、言葉を捜しあぐねていただけの事。

 だけれども。雪花は困り顔の涼浬を見て、否定されたのだと思った。

 「……じゃあ、諦める…」

 すごすごと。自ら座布団を手にするべく動き始めた雪花の手首を、涼浬は思わず慌てて掴み。

 「あ、いえ。その」

 …必死なのだけは、伝わる。

 「…すずり?」

 少々驚いた面持ちでも、先を促したくなるほどに。

 「その」

 「うん」

 「…私の膝で、宜しいのでしたらば」

 瞬間、沈みかけていた表情は、常の如くの可愛らしい笑顔になりかわる。

 「うんっ」

 「…では、そのように」

 弾けるような笑みと、恥じらいをあらわす笑みと。







 引き寄せられた灯りのもと、御満悦な主を膝に乗せ。

 耳掻きを手に持つ涼浬のその、耳を撫ぜる動きは、ただただ優しく。

 時折「痛くはありませんか?」と聞かれても、雪花は「…痛くないよ」と。

 …たいそう気持ちよさげに返すだけ。

 さらりと零れてくる髪を、耳から遠ざけようと。

 白く細い手指が、肌を滑るのもまた、心地良く。

 「涼浬は、上手ね?」

 「…そうですか?」

 「うん、上手」

 「それは…ええと」

 「嬉しく、ない?」

 ――いいえ。

 ――寧ろ。





 「とても、光栄です」

 「…涼浬は、いつもそうね」

 「はい?」

 「……大袈裟なの」

 「…本心ですが」

 仕上げも兼ねて。

 ふっ…と、戯れに息を吹きかけてみせれば。

 小さな悲鳴と、責める眼差し。


 「本心ですから」

 ――嗚呼、きっと。今の私は、とても意地悪く微笑んでいるに違いない。

 涼浬は、確かにそう認めた。…あくまで、己の胸中でのみのことではあるけれども。






 けれど。

 どうしたって。

 涼浬と雪花が、かような事で喧嘩など来る筈も無く。

 どちらからともなく浮かべる優しい笑みで、今日も夜は更けてゆく。




 …明日になれば、また、少々のことで”押し問答”が繰り返されるのだろうけれど。

 


+++終。 

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外法帖初SSです。…うふふ。
素晴らしく見事に時代考証考えナシで。というか、そうでないと書けません…。


ええと、そうそう。

このSSは、「すずりんの膝枕で耳掃除してもらいたいぜ」という、書き手の欲望がソックリそのまま。
装備アイテム「耳掻き」を、ぼーっと眺めていて浮かんだものです。実にわかりやすいですね(笑顔)。

すずりんを可愛く書きたかったのですが、雪花のほうが可愛く…?
つくづく、ワタクシはこういう娘が書きたいようです。
まあイイか。カワイイすずりんは、またいつか目指します。(ぇ)
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