+++「私は羊」



 とある村に、ひとりのかわいらしい女の子がいました。

 髪の毛はふわふわで、天使のようだと誉めそやかされて、女の子は嬉しい反面、誰も彼も言うことは一緒でつまらないと思うようになりました。

 そんなある日、遠出を許された女の子が、お友達に教えてもらった村はずれの木の下にお花を摘もうと出かけたら、子羊をつれた男の子が立っていました。

 男の子は黒い髪に黒い瞳。なかなか整った顔立ちです。

 そんな子が同じ村にいるなんて、今まで家の周りでしか遊んでは駄目と言われていた女の子は知らなかったものですから、最初は吃驚して、けれどすぐに仲良くなりたいなあと思ったのです。

 はい。仲良くなるには挨拶から。

 こんにちは、と女の子が挨拶したら、男の子はじぃっと女の子を見て、それから漸くこんにちは、と返してくれました。

 それだけのことなのですけれど女の子はとても嬉しくなって、にっこり微笑いました。

 男の子はそんな女の子にやさしく微笑み返してくれましたので、おともだちになれるかしらと期待したのも束の間、男の子はこういったのです。

 「きみのかみのけって、ひつじみたいだ」

 何てこと!

 はじめてあった子にそんなことを言われた女の子が思わず癇癪を起こしかけたのはある意味当然です。いくら格好良くったってゆるせません。

 けれど、男の子は続けてこう言いました。

 ― ひつじって、やわらかくてあったかくて、すごくきもちよくて、ぼく、だいすきなんだ。

 更にこうも言いました。

 「きみのも、そんなかんじがするから。ぼく、きみのかみがすきだよ。…あ、でも。ひつじよりきみのがキラキラしてるけどね」

 起こるタイミングを逸してしまった女の子は、ぱちぱち目をしばたかせて、おとなしく聞いていました。

 …いえ、言われること全てが始めて尽くしで驚いていただけなのですけれど。

 次に、女の子はなんだか嬉しくなってきました。

 ええ、好きといわれて嬉しくないはずがありません。

 そうして。もっと嬉しくなりたくて、女の子は良い考えを思いつきました。

 「じゃあ、わたしはひつじ!」

 だって、羊みたいだから好きだと言ってもらえたのですもの。

 男の子は羊が好きなようで、だったら女の子が羊になればもっと好きになってもらえるかしらと思ったのです。

 今度は、男の子が目をしばたかせる番でした。

 「…ひつじは、だれかのものにならないと、まもってもらえなくておおかみにたべられてしまうよ」

 困ったふうに眉を寄せて、小首を傾げて言うのです。

 ― あ。

 痛いところを突かれてしまいました。なので、女の子は考えて考えて。

 「……う。…じゃあじゃあ!あなたのひつじにしてちょうだい。そうしたら、そのこみたく、おおかみにたべられないようまもってくれるのでしょ」

 どきどきしました。其れが何故かはわかりませんでしたが、女の子はどきどきしながら男の子が答えるのを待ちました。

 「いいよ、でも、いまはこいつがいるから…まっててくれる?いつか、ぼくのひつじにしてあげるから」

 「きっとよ?きっと、きっとよ??」

 「うん」

 「ほんとうね?」

 「うん」

 すんなりと男の子は承諾してくれたのに女の子は何度も何度も確かめたので、男の子は微笑って言うのです。

 やくそくするよと。

 約束。事ここに至って、女の子はやっと満足そうに微笑うことができました。



 こうして、女の子は羊になったのです。





 …ああ、はてさてそれからどれだけ経ったでしょう。

 いつしか年月は過ぎ、男の子は青年と呼ばれる歳になり。羊はと言えば村一番の羊へうつくしく成長しました。

 村中で一番と噂されるほどの美人さんな羊。

 羊が歩けば、村中の男が其の後をくっついてくるのです。

 おはよう、と優しく挨拶するだけで花束が向けられることも珍しくないほど!

 やわらかな微笑みを浮かべれば、行き交う者は溜息ついて立ち止まります。

 皆がみな、羊の心を射止めようと日々大慌て。

 でも、羊は言い寄ってくる誰にも耳を貸しませんでした。

 と、言うよりもです。囁かれる愛の言葉は何ひとつ羊の耳に入っていなかったので、口説こうとする心意気だけが上滑りしていたのでした。

 そう、羊はただ一人の言うことしか聞かないと決めていましたから、他の男どもが話す内容なんてはなから無視。

 あの昔の約束が、羊のこころにずっと生きているのです。

 …けれど次第に羊は不安に駆られるようになりました。

 実を言うと男の子、いえ、青年はいつまでたっても羊を迎えに来てはくれないのです…。

 羊は来る日も来る日も心待ちにしているのに、音沙汰なし。

 もうすぐ羊は結婚適齢期になる誕生日を迎えるというのに、あの青年だけが羊に近寄ってこないのです。

 これはどうしたことでしょう?

 ― 忘れられてしまったのかしら。もう、あの人の羊にしてはもらえないの?

 そう思い始めると考えは悪い方へ悪い方へゆき、羊は日増しに元気がなくなりました。

 誕生日の朝になった頃にはめっきり沈みこんでしまい、一人お祝い事の雰囲気にはなれない羊。

 眠りのすっかり浅くなっていた羊は、家の者が起きだす前にこっそり抜け出して、村はずれの木に向かいました。

 そうです、約束を交わしたあの場所へと羊は…羊は、つまるところ逃げたのです。

 待っている自分が莫迦みたいで、哀しくて悲しくて。

 朝日が照らす丘に根を下ろす木へ。慰めにもならない小鳥のさえずりに背を向けて、羊は走りました。

 走ってはしって、辿り着いた懐かしい木の下で、羊は泣きかけました。

 泣こうと、したのです。でも、出来ませんでした。

 窪んだ幹に凭れ掛るように背を預けた人間を見つけてしまったので、出かけた涙がひっこんでしまいました。

 泣いている場合ではありません。

 羊の住む村は暖かい気候の土地ではありましたが、野宿をするのは旅人くらい。村に辿り着けずに一夜を過ごしたのかと近付き顔を確かめようとして、羊は吃驚仰天。

 まじまじ見つめれば、若干薄汚れてはいたものの、羊の待ち人、その人でした。

 幼かった頃より整っていた顔でしたが、いまや見惚れるほど穏やかな寝顔でもって、すうすう寝息を立てているのです。

 どうして此処で寝ているのやら羊にはさっぱり見当がつきませんで、おずおず手を伸ばしましたら、ぱちっと瞼が開いて。

 光が黒々とした瞳に反射して煌く様に羊はすっかり心奪われ、手を伸ばしかけた姿勢そのままで固まってしまいました。

 高鳴る胸の音だけがいやに威勢良く動いているばかり。

 気だるそうに彷徨っていた青年の視線が羊を捉えたなら、羊の心臓は一層跳ね上がりました。

 其れを知ってか知らずか、青年は止まっていた羊の手をぐっと引っ張ったのです。

 もちろん羊はよろけましたし声も出しました。

 そうしたら、青年は良かった、と、ふんわり微笑うのです。

 あんまり綺麗に固まっているものだから人形に見えたのだと。そう言って微笑ったのです。

 低く、心地よい音質。

 それでも羊は、なんて失礼なことを言うのかしらと我を取り戻しました。

 ― ああでも…うん。動いていても人形みたく綺麗だ。

 青年が呟かなければ、頬を赤らめるよりもそっぽを向いていたでしょう。

 いつぞやもこのような感じでしたっけ。思い出したら羊はまたしても嬉しく思い。

 こんな所で何をしていたのと問う声音には、照れくさい響きがありました。

 そんな羊に問われ、青年は羊の手を ― そう、まだ羊と青年の手は繋がっていました ― そうっと包み込みました。羊のちいさくて可愛らしい手よりもずっとずっと大きくて骨張った、指の長い手で。

 そうしておいて、青年は話し始めました。

 かいつまんで説明すると、羊が知らぬ間に村を離れて、いっとき大きな街へ出向いていたらしいのです。このたび急いで帰路に着いたのだけれど、昨晩村の外門が閉まる前に辿り着けそうになかったので野宿したのだと。

 羊のところへ全く顔を出さなかった理由は其れでした。

 羊が昔、青年と交わした約束は他人が知らないものでしたから、青年が村を出ていたことを誰も羊に教えてはくれなかったのです。

 ですが、わかったところで羊の置かれている状況は変わっていません。

 もやもやしたままです。手を握ってもらえているのはとても嬉しいことでしたが、けれどそれだけと言えばそれまでです。

 約束が青年の中に残っているのかどうかは、わからないのです。

 でも羊はどう切り出したら良いのか戸惑って、青年の黒い双眸を見つめることしかできません。

 今にも泣きそうな目をしているのは自分でもわかっていましたので、口を開けなかったのです。

 何か言ったら最後、大泣きしてしまいそうで。

 そんな羊のこころを見透かしたように、青年は、遅れてごめんと言いました。

 待たせてごめんとも言いました。

 「覚えているかはわからないけど。…昔、此処で僕と交わした約束があったろう?君を僕の羊にするって。…覚えてないかな。君が自分のことを羊だと言い張って、それで」

 其処まで言って、青年は静かに、けれど寂しそうに微笑うのです。でも君は綺麗になったしね、って。好きな人も、出来ただろうね、って。

 そんなこと。そんなことないのです。羊が約束を忘れたことなんてないのです。

 他の人を好きになったこともなければ、青年以外の誰かに自分を好きになってほしいと願ったことだってありません。

 ― いつか、ぼくのひつじにしてあげるから。

 つい昨日のことのように、鮮やかに甦るのは幼い少年の声。

 あれが、いつだって羊のこころの奥底に大事に在ったのですもの。

 羊は大声で「忘れるわけないじゃないの!遅いのよ!」と力いっぱい青年を叱りとばそうと思いました。

 ああ、けれど。そんなものは羊のどこからも出ませんでした。

 「私、わたしはね、貴方の羊にしてもらうのをずっとずっと待ってたのよ。……忘れた、ことなん、て、…わすれたことなんて…なかっ…」

 羊からぽろぽろ零れ落ちたのは、途切れ途切れなか細い声と大粒の涙ばかり。

 男の子に好きになってもらいたい一心で、羊になったあの日の気持ち。

 狼から守ってもらうために、貴方の羊にしてと頼み込んだあの日の気持ち。

 でも、気付けばあの日は遠くなっていたのです。

 羊はただ、青年のものになりたかったのだと今漸く自分の気持ちを思い知ったのでした。

 ただそう。いっしょに居させてほしかったのです。

 ならばと、このあたたかな手のぬくもりが羊から離れないことだけを祈りました。

 ……しかし包み込む手は離れてしまいました。だけれども、代わりに。

 代わりに、青年は羊の白い指に綺麗な指輪を嵌めてくれました。

 村にそんなものはありません。羊のためにお金を溜めて、買って来てくれたのでしょう。

 「これで君は、僕の羊だ」

 羊は何度も何度も頷きます。一回では足りないのです。

 先ほどまでの涙は止まり、今度は別の涙があふれかかった羊を、青年は嬉しそうに目を眇めて見つめ、きゅうっと羊を抱きしめてくれました。

 それでも泣き止まない羊に、次はやさしいキスをくれました。

 羊は、ですからもっともっと泣きたかったのですけれど。

 嬉しいなら微笑ってほしいと言われたので、羊は微笑いました。



 やがて季節は巡り次の春、羊はきれいな花嫁になりました。

 村一番の、しあわせな羊として。














 さらに時が経って、当然ですが羊は歳をとりました。

 そんな羊の生活は、やさしい夫が傍に居て、子供が賑やかな毎日。

 今も羊は、たいそうしあわせです。

 そしてこれかもきっと、羊はしあわせでしょう。

 


+++終。 

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新春明けましてしょっぱなから何を読ませていたのでしょう私って。(泣き笑い)


最後までお読みくださった方には心の底より感謝の限りです。もうもう本当に。

こういう、童話調で文章を書くのはかなり好きというか…書き易いというか…。

いきなり話がすっ飛ぼうが結構赦される感じが助かります。(赦されませんて)

や、それはともかくです。昨年末最後の書き物は「年明けからコレで良いのか

なあと」疑問に思う反面非常に楽しんで書いてました。白状いたします。(笑)



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ZABADAKの「私は羊」という曲を皆様ご存知でしょうか。その昔上野洋子さん

が在籍してらっしゃった頃に出された曲なのですけれど。(今は吉良さんお一人

でZABADAK)2003年干支を羊っ娘で描きながら思い出しまして。その歌詞の

イメージから、このお話ができました。…でも、書いている時のBGMは平井堅の

「大きな古時計」だったりしたのですが。(笑)ZABADAKも平井堅も好きですv

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