+++「雨が降るなら」



 王子へは、特に誰かの所用を頼まれてのことではなく、また、自分の所用があったわけでもなく。本当に、ちょっとした気まぐれで遊びに来た。そうしたら、雨が降ってきて。霧雨であったから、降るに抗わず濡れるに任せていても良かったのだけれども。
 これは良い口実ができたとばかりに、近くに来ていたのを嬉しく思いながら、雪花は如月骨董品店に駆け込んだのだ。

 「お邪魔しますっ!…っと、ごめ…」

 静かに開けるべき引き戸を、やや乱暴に開いたのを恥じて、肩を竦めて謝ろうとした雪花を、ふぅわりと柔らかな布が包む。

 「いらっしゃい。程度が霧雨だからね、それほど濡れてはいないと思うが、水気を残してはいけないよ。…体調を崩す」

 「あ…。ありがとうっ」

 準備良いね?と、布の隙間から覗き見あげれば、店主が―奈涸が、ふっと微笑ってみせた。

 「簡単な事だよ」

 「???」

 不思議そうに目を瞬かせるのを、笑顔のままやり過ごし、奈涸は雪花を座敷へと誘った。



 卓袱台の上には、見るからに美味しそうな水羊羹と、急須と湯のみ。

 自分が茶の間に通された時点で、既に用意されていたそれらと、隣に立つ男を見比べて、愛らしく少女は小首をかしげた。

 「…誰か、お客さんが来るの?それとも、もう来てるの?私、お邪魔??」

 「今、来たところだよ」

 「……?…????」

 「期待を裏切るようで悪いな。隠れる所は山ほどあるが、この家には、今は誰も潜んではいないよ。君と俺しか居ない」

 天井や物陰を見ては、人を探そうとする少女のために、笑みを含んだ声が降る。

 「ぇ?じゃあ、お客さんって…わた、し?」

 「だと、俺は思っているが」



 勧められるままに腰を下ろし、勧められるままに茶を啜り、勧められるままに羊羹を一口。流されるように落ち着いてしまっていた雪花だが、はたと気付き。再度、話は不可思議な状況の解明に戻る。

 「お客さんが、えと、私ね?」

 「そう」

 ―いまだに、誰かの為の茶菓子を横取りしてしまったとでも思っているのか。

 食べかけの羊羹を心配そうに見ている辺り、きっとそうなのだろうから。安心をさせるためにも、実に簡潔に肯定してやる。

 そうすれば、ほっとしたのだろう。もう一切れを、美味しそうに口に入れた。しあわせそうに味を楽しんで、口直しにまた茶を飲むと、改めて不思議だと呟く。

 「でも、遊びに来るなんて、誰にも言ってないよ?」

 「かもしれないね。其処のところは、俺の預かり知らぬものだ」

 「…むぅ。じゃあ、どうしてこんなに準備が良いの?」

 「君が、雨に―正確には水氣に、触れたからだね。その君はうちの近くに居たから、もしや此処を訪ねてくれるかと思って先走った」

 今ひとつ飲み込めない風の雪花を見て、奈涸は何を思ったのか、つい、と卓の上に指を滑らせる。

 「こうすると、木の質感を指が感ずる」

 「うん、其れはそうね?」

 納得できると頷くを見て、口上を続ける。

 「原理としては似たようなものだと思えばいい。俺はね、水が触れたものを、手に取るように理解しようと思えば、出来なくはないんだよ。…そうだな、江戸の端から端までなら何とかなりそうだ」

 ―君が特別、変わった氣を発しているからではあるけれどね。

 口の端を緩やかに歪めながら、そう心中で付け足して、奈涸は雪花の反応を待った。本当なのかと聞いてくるだろうと…少々期待をかけて。

 「わかるの?ホントに?」

 当てを違わずの台詞に、苦笑せざるをえない。

 「現に今は」

 「じゃあ、私が何処に居ても、如月の兄様には分かってしまうのね」

 障子の向こうの雨模様を見ようとするように、雪花の視線がぼんやりと中空を凝視する。

 「…困るか?」

 静かに問うと、視線は素直に奈涸へ降りてきた。

 「ううん、困らない。寧ろ、嬉しい」

 「嬉しい?」

 「うん、嬉しい。…私が動けない時とか、助けてほしい時とか、つまりは一緒に居てほしい時とか、わかってくれそうだもの」

 ―だからね、嬉しい。

 其れは言葉で伝わる以上に、嬉しそうに微笑うから。

 微笑ってくれるから。

 奈涸は、胸の奥を暖かく思った。

 「良かったら、努力してね?」

 言われて。

 「君が望むなら」

 答えた。

 「んと、私だけじゃなくて。涼浬のことも、ね?わかって…あげてね?」

 頼まれて。

 「……君が望まなくても」

 さも当然と請け負った。


 少し目を見開いて、それから。雪花は、花開くように微笑った。

 「良かった」

 


+++終。 

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外法帖SS第四弾です。…うふふふ。
素晴らしく見事に時代考証考えナシで。というか、そうでないと書けません…。
(毎回この出だしを貫くつもりらしい)


奈涸さんでーす!…えーと、要はですね、水に
<力>を這わせるコトが出来るとか
そーゆー都合の良い設定を付けてみました。何だソレとか言わないように。(笑)

ともあれ。
お誕生日おめでとう奈涸さん!
(どんどんぴゅーぴゅーぱふぱふ〜)

この時代は生まれた日を祝うというのは無い(ハズです)ので、誕生日を祝うネタ
ではありませんし、時間が無いのをイイコトにかーなーり、短いお話なのですが、
これで充分祝ったと言うことにしておきますvvv(笑顔)

奈涸さん、とっても妹思いですねとか。雪花ちゃんが彼を「如月の兄様」と呼ぶ
辺りに多大なる書き手の陰謀を感じるとか言う御意見は、大歓迎ですともー!
寧ろ突っ込んでください。趣味ですとしか答えられませんけども。

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