―シコウは、知ってる?

 ―タナバタの夜が、雨のリユウ。

 ―ネ、シコウは知ってる?

 ―マリィ、知ってるヨ!


 ―アノネ……




++++++『しあわせな夜に』


 広い広い秋月のお屋敷。その広大な庭を臨む縁側で、竹が笹鳴りをみせていた。

 七夕まで数日と迫ったある日のこと。

 硯で丁寧に磨った墨に筆を浸し、短冊へ真剣に向かっているのは、マリィだ。

 薫が目を細めて見守っているのも気付かないくらい、一生懸命で。

 とても、微笑ましくて。

 マリィが、ふーっと息を大きく吐くまで黙っていた。

 「書けた?」

 色素の薄い髪が揺れ、隣の金髪の少女に、暖かい声で呼びかけた。

 願い事の内容を見ないように注意して。

 「ウンッ!エット、コレを結ぶンだヨネ?」

 問われてマリィは、満足げに微笑い。書き上げたばかりで墨痕鮮やかな短冊を、嬉しそうに見つめた。

 「そう。笹の葉に結んでおくんだよ」

 庭に用意された笹を指差す薫。其処には、まだ何も吊るされてはいない。

 其れを見て、マリィの顔が僅かながら翳った。

 「…オネガイゴト、イッパイ書かなくちゃ寂しいネ。デモ、ウーン……よくばりサンはダメ…だし…」

 「え?」

 「ダッテ、マリィや薫が書いただけじゃ二枚しかナイ…ヨ?」

 薫は破顔するしかなくて。

 マリィがきょとんと見返してくるのに気付いて、改めて微笑んだ。其れはもう、やさしく。

 「願い事を書かない短冊だとか、他にも色々とたくさん飾るから大丈夫。寂しくないよ」

 「ダイジョウブ?マリィ、よくばりサンにならなくて、イイノ?」

 「うん。本当にお願いしたいことを、精一杯書いたものが一枚でもあることが、何より大事なことだから」

 大丈夫だよと。

 寂しくないよと。

 無理に欲張らなくて、良いんだよと。

 薫と短冊と笹と空を順繰りに眺めて、また薫へ視線を戻して、マリィはこっくり頷いた。

 「マリィ、頑張って書いたヨ!」

 「ありがとう。それじゃあ、色紙をもっと切って、飾りを作ろうか」

 「ウンッ」

 身体を捻って、鋏と糊と色紙を手元に寄せると、すぐに工作に没頭し始めたマリィとは別に。

 「ほらほら、祇孔も書かないとダメだよ?」

 薫はと言うと、座敷の奥の方で寝転び、メフィストを戯れにからかっている村雨に声をかけた。

 「……あ?」

 「短冊」

 長方形の色紙を、指で摘んでひらひら泳がせてみせると、村雨は唸った。

 「…書く必要なんざ、ねェよ」

 天に、願いたいことを此方からわざわざ知らせなくとも良いじゃないか。―そう言う意味なのか。

 それとも、天に願わずとも自力で叶えてしまえるから。―そう言う意味なのか。

 はたまた、叶わない願い事しか持っていない。―そう言う、意味なのか。

 まあ、いずれにしろ。村雨自身が言った意味は、何故だか薫には微妙に届かなかったらしく。

 「必要が無いけれど書きたくないわけじゃないと。では、祇孔も書くこと!はい、決定!!」

 唖然とした面持ちは、笑いを誘うほど滑稽だった。

 ―いくつになっても、夢見ることを忘れちゃいけないよ?

 薫は言って、くすくす微笑う。

 「…おい」

 思わず身体を起こした村雨を、いつの間にやら、蒼い瞳がじぃっと見ていた。

 じぃっと。

 …じぃーっと。

 手を動かすのも止めて、ただただ、村雨を。

 じぃっと。

 期待と不安が入り混じる表情で、まっすぐに見てきた。

 「………」

 「祇孔、書くんだよ?」

 加えて、にこにこ後押しされると、村雨にはもう、そうするしかなかった。

 「ったく…しょうがねェなァ」

 仕方なさげに、頭を掻きながら、ひとつ大きく息を吐いた。

 けれども一連の反応は、人を喰ったようなものでもなく、苛立ったようなものでもなく。

 そんな村雨を見て、薫は、わーっと楽しげに手を叩いたし。

 マリィは、ふわんと顔をほころばせた。

 しょうがねェなァ、と呟く声は、とてもやさしく聞こえたので。



 さらさらと筆の流れる音は微塵の迷いも無く。

 程なく書き上げた短冊の向こうから、どうだと言いたげに村雨が二人を見た。

 事前に考えてあったの?と揶揄する声もしたけれども其処は村雨であるから。

 さぁな、と眉を上げてみせたのだった。

 薫とマリィには短冊の裏側しかわからず、村雨が何を書いたのかは見えなくて、気になったのだけれども。

 気になるなあと視線を送っても、柳に風と受け流されるばかり。

 そればかりか、結局二人がどんなに勧めても、村雨は頑として目の前で短冊を飾ろうとはしなかったのだ。

 終いには、マリィが帰る時刻になったのを良いことに、話を切り上げられてしまった。

 「マリィ」

 仕方なく帰り支度をして退出しようとしたマリィを薫が引き止めたのは、村雨が先に部屋を出た後のこと。

 「ナァニ?」

 「七夕の日なんだけれど。祇孔がね、嬉しくなるようなことを言ってあげてくれないかな」

 「?イイケド…」

 小首をかしげて不思議そうなマリィに、薫は微笑むだけで。

 そうこうしているうちに、マリィが一向について来ないので、祇孔が戻ってきた。

 廊下から顔だけを覗かせ、マリィを呼ぶ。

 「行くぞ?」

 「ウ、ウン…」

 ちらり、と気遣わしげに振り返るマリィを薫は手招き、村雨には少し待つように告げ置く。

 「それじゃあ、七夕の夜に遊びに来てくれるのを楽しみに待っているから」

 ―祇孔のね、誕生日だから。今日は良き日なのだと…言ってくれるだけでいいんだ。

 挨拶をして送り出す間際に、そっと耳元に理由を告げた。

 勿論、村雨には聞こえないように小声で。

 「ウン、楽しみにしててネ!」

 何か変だと呟く村雨は、あえて無視して。マリィは薫と視線を交わらせて、微笑った。



 二人居並ぶ帰り道、村雨は意味ありげに視線を送ったのだが。

 マリィは、にこーっと微笑って、何も言わなかった。

 …女同士の秘密は男にバラしてはいけないぞっと、以前、小蒔に教育されていたりしたので。

 それに、先ほど村雨が短冊を目の前で飾ってくれなかったことを根に持っていたというのも、ある。



 そんなこんなで、あっという間に七夕の夜。

 世間は晴れの一日だったが、御門が薫とマリィのためにと―七夕は大抵の場合は雨であると言う一般天気事情に習ったのやら―戯れに降らせる五月雨を、ぼんやり眺めていた。

 短冊は、こっそりと夜に紛れてではあっても律儀に付けておいたから、別段することも無く。

 そんな村雨に、ちょこちょことマリィが近寄ってきて、村雨の傍にしっかり位置をキープすると、シコウ?と呼んだ。

 「なんだ?」

 「ネ、シコウは、知ってる?―タナバタの夜が、雨のリユウ。シコウは知ってる?」

 「いや、知らねェな?」

 知らないと答えるのが筋だろうなと、そうすれば。マリィは案の定、嬉しそうに顔を輝かせた。

 「マリィ、知ってるヨ!アノネ……タナバタの夜が、雨なのはネ。ソラに雨のカーテンをしちゃうからなんだヨ?オリヒメサマとヒコボシサマの二人がネ、自分たちのデートを見られたくないからそうするノ!」

 「今日みてェに晴れてる日もあるだろ?其れはどうなんだ?」

 「ン?ん〜、ソレはネ、閉め忘れちゃったからなんだヨ。ダレだって、たまには忘れるコトッてあるモン」

 「なるほどな」

 「ダカラネ、タナバタの夜は、いつだッてミンナミンナ、シアワセなんだヨ」

 何がどういうことだと訝しがる村雨を、いつものように見あげるマリィは、いつものように微笑っていた。

 「雨が降ってもふらなくても、ソラの二人はシアワセだし、ソラを見上げるマリィたちもシアワセ」

 其処まで言うと、すこし口をつぐみ、そして、村雨にしゃがむように頼んだ。

 互いの視線が同列になる。

 其れを待ちかねたように、マリィの白く小さな手が、村雨の頬にそっと触れた。

 そうして。

 ―そんな日に生まれたシコウは、とってもシアワセだヨ。

 やさしく、囁いた。

 村雨に触れられた手は、囁かれた言葉は、ほんのりと温かだった。

 「そうだな」

 大きな手で髪を梳くように、マリィの頭を撫ぜた。

 あおく輝く双眸が、嬉しげに瞬く。





 いつの間にやら、雨は降り止んでいた。


 残り香の如く漂う土の匂いに、何かを、ひどく懐かしく想う。

 生まれた昔を。

 過ぎた日々を。


 そして、嬉しく想う。

 …これから続く、年月を。



 しあわせな夜に、それらを想おう。


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村マリです。七夕の夜は、いつも雨が降るもので。いや、降らない年もあるんですけど(笑)。
どうしてそうなのか、と考えてみたりして。一年に一回しか逢えないって言う設定なのに、逢
えない年があるのは哀しいなぁと。

ずっとずっと、心に残っていたので。其れをマリィが話したら、どうなっていくのかなーと考え
ながら、ぽちぽち打ち込んでみましたよ。

ええと。おめでとう、村雨ー。で、結局…君は短冊にナニを書いたんだ!我ながらスゴク気に
なって仕方ないんですけど…どうしましょう…。(言われても)

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モドル