小さくて大きな 秘密の約束


 浜離宮へ遊びに行ったマリィを、美里家へ送り届けるのは、いつも決まった相手。

 大きい男と、小さい少女。

 たまに不審な目を浴びることもあれど、少女がとてもとても楽しそうな瞳をしている
 がゆえか。

 男が、限りなく優しげな空気を纏っているからか。

 いつもいつも、二人は二人だけで 歩くのだ。

 二人だけの時間


 けれども それは、いつまでも続かない。







 『…ハヤク大きくなりたいナ』

 ふいに、ぽそりと呟かれた言葉。

 『あァ?何でそんなに急ぐんだ』

 捨てずに、即座に拾い上げて、問い返す。

 『…シコウ、おっきいカラ』

 『……あのなァ、マリィ』

 やれやれと。苦笑しながら、ガシガシ頭をかく。

 『ナァニ?』

 『俺くらいでかくなるとな、見えなくなるモンってのがあるんだ。だからな、マリィ』

 じっと前を見つめる視線は、はてさてどこを見ているのか。

 『今しか見れねぇモンを、しっかり見とけ。見れなくなってからじゃ、遅ェんだ』

 『…シコウは、ソウ思ってるノ?』

 『ン?』

 一生懸命な問いかけは、最初は的を射ず。

 『見れなくなっちゃって、遅かったなぁッテ、ソウ思ってるノ?』

 二回目は、それはハッキリと。

 『……さァ、どうだろうな?』

 くしゃくしゃと、金の糸を手で混ぜ返しながら、村雨は少しだけ……少しだけ遠くを
 見つめた。しかし、それはマリィには見えない。

 大きな手と、自分の髪で、隠されていたから。

 『シコウ?』

 見えないヨ、と。

 小さく抗議され

 『マリィ』

 村雨が手をどければ、蒼く輝く瞳が一対、懸命に見上げてきた。

 『…いいか、急ぐんじゃないぞ』

 年齢不相応だといわれるその顔に、いつもの何かを皮肉った笑みは無く。

 ただただ優しく、少女を見る。

 『嫌だッつってもな、体は自然に大きくなっちまうんだ。気持ちを焦らすんじゃねぇ』

 ― 中身がダメになっちまうからな。

 『ゆっくり時間をかけて、イイ女になれよ、マリィ』

 『イイ、オンナ?』

 『おぅ、この俺がほっとかねぇようなイイ女にだ』

 『ン〜…よく、わかんないケド、シコウがスキって言ってくれるような大人になれば
 イイんだネ?』

 『ま、そう言うコトだな』

 ニッと笑う村雨がそこに居て。

 にこっと微笑うマリィがそれを見上げて。

 けれどすぐに、片方の人間は、その笑みを止め、何かを惜しむような、忘れるよう
 な、そんな顔をして。

 『元気でな、マリィ』

 『……?ナニ?どうしたノ、シコウ…』

 『なぁに、いつかまた逢えるさ』




 ―― それは、今はもう数年も前の話。








 『マリィ・クレア・美里』

 『…ハイ、シスター。何ですか?』

 廊下でフルネームを呼ばれる相手は決まっている。

 静かに振り返り、そっと礼の挨拶を。

 『いえ、特に用事があるわけではないのですが。…昔、貴方が初めてこの学校に

 来た時を思えば、ずいぶんと大きくなりましたね』

 もう少しでお別れだと。柔らかく寂しげなその瞳は、ひどく昔を思い出させるもの。

 『デモ、あの…ワタシ…もう少し大きくなりたいんです』

 『あら、どうして?もう、女性としては充分な背の高さだと思うのだけど』

 ふるふると頭を横に振るのは。違うのだと、シスターの問いへの否定。

 『背の高さじゃなくて、気持ちが。マダマダ育っていません。…背も、もう少し欲し
 かったりは、するんですケド。でも、大きくならないといけないのは、何よりココロ』

 『そう。でも、マリィ・クレア・美里?貴方は、すでに立派なレディーだと思いますよ
 ?そういう心がけができるのですから』

 ― まだナノ。レディーにはなれても、イイ女って、今のマリィじゃ、まだダメなの。

 ― …きっと、まだダメなの。


 ―― それは、少し昔のお話。







 『マリィ』

 『…マリィ』

 低い声で名前が呼ばれると、一瞬だけ、そう、一瞬だけ期待してしまうのは、もう
 何年も変わらないマリィのクセ。

 クセというものではないのかもしれないけれど。

 今日も、低い声で名を呼ばれ、ふっと、期待してしまう。

 しかし、それは本当に一瞬の夢。

 『マリィ?』

 『・……あ、ヒスイ。こんな所で逢うなんて、珍しいネ』

 『所用でね。…そうそう。マリィ、こんな大通りでぼうっとしていてはいけないよ?』

 『ウ、ウン』

 けれども。

 それは、いつだって心が求めている相手では無いのだ。

 しかしマリィは、それでも

 いつも ”誰か”であることを 期待する。




 『マリィ』

 忘れそうなくらい遠き日の思い出。けれど決して忘れない、それは昔のこと。

 高い所から降る低い音が、マリィはとてもスキで。

 首が痛くなっても、相手の顔を見上げていたものだった。

 そうしたら相手は決まって

 『ほらよ、マリィ』

 そう言って、マリィの小さかった体を、よっと抱き上げてくれたものだった。

 高い所から見た世界は、なんだかとっても素敵だな、そう思いながらも。

 ― シコウの声、上カラ降ってこないヨ

 と、心なしか残念だった。

 ああ、そんなコトもあったネと。

 色褪せない 思い出。


 「ドコに居るのかナァ…」

 マリィの向かう先は、浜離宮。

 マリィと同じ視点でお話してくれる薫が大好きで、浜離宮にはよく出入りをする。

 それはもう何年も前から。

 彼が居なくなってから後も。

 そこでは、薫から色々なことを教えてもらい、そしてまた薫にも色々と教えた。

 教えるのは、薫の知らないこと。

 教えてもらうのは、マリィの知らないこと。

 けれど、薫も、御門も、芙蓉も。

 そう、あの場所に居る人間でさえも、祇孔の居場所は、知らなかった。

 マリィだって、もちろん知らない。

 だから それは

 お互い知りえないこと。

 お互い教えられないこと。

 出来ることと言えば

 『マリィ、祇孔は…帰ってくるかな?』

 『帰って来るヨ。シコウ言ってたモン。”また逢える”ッて』

 『なら、いつか逢えるね』

 『ウンッ!』

 確かめ合うこと。





 ”いつかまた逢える”

 それはいつかの約束事。

 守られるという確かな約束。

 いつだって

 そう、いつだって彼は

 マリィとの約束はもちろん、誰かとの約束を破棄したことは無かったから。

 『大丈夫、祇孔はマリィにした約束を、絶対破ったりはしないから』

 「デモ…。はやく………また”マリィ”、ッて上から呼んでくれないカナ」

 約束を

 破ったりはしないと。

 わかっているのだけれども

 ”すぐに逢いたい”

 その想いは、いつもすぐ傍にあって。

 「それに…”イイオンナ”になれたかどうか、シコウにしかワカラナイのに」

 だから

 どこか批判するような物言いも、してしまうのだ。




 ―― それは、ほんの少しだけ昔のお話。







 『マリィ』

  いつかどこかで

  あの声を

  聞けるのはいつのコトだろう?




 「マリィ」

 こんな風に 何気なく

 「今日は、ダァレ?」

 「さァ、誰だろうな?」

 わざとゆっくり振り向いて

 「---だネ?」

 名を呼んで

 それに答えて微笑ってくれたから。

 『ホンモノ』

 唇だけでそう言ったのに

 「またいつか逢えるッて言っただろ?」

 「…ウン……ウン、ちゃんと聞いたヨ」



 「覚えてたヨ、ちゃんと・・・」






 いつか

 それは”いつか来る日”

 決して

 ”いつまでたっても来ない日”ではないのだ。



 ―― 村雨という男との約束は、”いつか” きっと 果たされるもの。





 「お帰りッ、シコウ」




 しかしてマリィは、村雨の言う”イイ女”になれていたのか。







それは 小さな 秘密。

それは 小さな 約束。


”いつか”果たされたりするのかも。

いつか。


 
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あ、甘いのだか何なのだか…!!!げほげほ。

村雨・マリィが実は好きだったりする管理人です。今ここで明かされちゃったりする真実?

村雨・薫も好きです。って今は関係ないですね。



いつか書きたいなぁとか心密かに思っていたのですが。

小ネタでようやっと書けました。

そうそう。テレジア中学校、という名前からしてカトリック系とかそういうのかなあとかヘンなコト考えて。

だから、シスターなんかが出てくるんです、ハイ(笑)


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