+++「まろやかな刻」




 最近、秋月薫は色鉛筆がお気に入りの画材らしく。

 ちいさなスケッチブックに、軽やかな色とりどりのやわらかい線が浮かび、泳ぎ、重なる。

 その日も村雨の傍らで、薫は丁寧に削られた色鉛筆の群れの上で指を彷徨わせていた。

 ― どの色を使おうかなー。

 そう呟く声音は、踊るように空気を滑り、村雨の耳をくすぐった。

 そこかしこで躊躇う指の動きは、横目で見ている村雨の口元に微かな笑みが混じるのと時をほぼ同じくして、ようやく、とある暖色系に定まった。

 だが、一本すっと箱から取り出したものの手は其処で止まり。視線は画材のまま、薫は『ねえ祇孔ー?』と喋りだしたので、呼ばれた村雨は生返事のようなものを返した。

 そう、”生返事のようなもの”と表現したくなるような返事なのだ。

 …風貌とは裏腹にきちんと話を聴いてくれているから生返事ではないのだけれど、何故だか村雨祇孔だとそういう風に聞こえるのがおかしいなあと、こういう時いつも薫はひっそり微笑う。

 今回もたぶんに漏れず、村雨に悟られぬように小さく笑んだのはひみつだ。

 「んー、あのね?色に素敵な名前がついた色鉛筆って、知ってる?たとえば枯れ色、とか薄桃色、とかじゃなくてね、『下校途中の猫じゃらし』『子兎のちいさなお耳』…そんな風に付けられてるんだよ。其処にはね、何百色もの地球の色が揃ってるんだって」

 「へぇ…そんなもんがあるのか」

 うん。― 楽しそうに弾んだ声は、そういう色の名前って素敵だよね?と続けた。

 「……ああ。不思議と、ものを思い出しちまいそうだ」

 村雨の低く優しい声に、何故だか薫は遠くを見たくなった。

 夏の夕暮れに落ちる影を残念に思うこどもたち。そんなものが、ふとよぎるような。

 懐かしさをおぼえる何かを心から呼び覚ました時の疼きにも似た気持ちを探して。

 「…きっと、心で想う色だからだね。色は目で見るものだけど、すぅっと心に染み込んでまざりあって…そうやって、自分の心の中に息づくんだろうな…」

 「……」

 いとおしむ眼差しの奥で、薫はいったい何色を想っているのだろう。

 …思うにたぶん其れは、ひどくやさしいもので。その色が醸し出す想い出は薫にとってさぞやしあわせだったのだろうと。

 色にまどろむさまは、うとうとと眠りに落ちゆくように穏やかなもの。そんな薫が想う色が、うつくしいものであるならば、ただそれだけで良かった。

 そうであるなら、村雨は心地よかった。

 「お前が見た色は、お前しか見てねェ色だ。だから、お前の心が想い出す色はお前だけのもんだ。…けどな、其れが他のヤツにふっと伝わったりもするんだぜ、不思議なことだがな」

 其れは世の中を軽んじるようないつもの口調であったけれど、音の響きはとても格好良くて。

 だから薫はゆるりと瞼を落として、想いを噛み締めるように唇を引き結んだ。

 「…だったら、祇孔がいいなあ」

 「あん?」

 「うん、祇孔がいい」

 聞き取ろうと軽く腰を屈め静かに見おろしてくる村雨に、薫はふわりと微笑った。

 「私の想う色が、祇孔に伝わってくれたら嬉しいと思ったんだ」

 「俺にはかなり無茶なことを期待しても大丈夫だ…とか、思ってるんじゃないだろうな」

 「…思っちゃダメなの?」

 「……いいや。悪かねェよ」

 「良かった」

 世界に、ほんのりとやわらかい白が視えた。とろみのある牛乳のような、白の時間。

 ― 今のこの時間は、きっとそんな白だ。

 こうして、またひとつ薫の心に色が溶け込んだ。


 数日後、薫の誕生日に村雨がくれた500色の色鉛筆にも無い、特別な色が。

 


+++終。 

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村雨・薫。この二人でぜひぜひくっついてほしいと切に思ったのは随分と前の
ような気がするのですが。…自分で書くには長い年月がかかりました。(苦笑)

じんわりとしあわせを感じられるようなお話にしたいと思ったのですが、まだまだ
です。もっともっと薫にはしあわせになってもらわないと。恋する女の子ですもの!


余談ですが今回お話の核になった色鉛筆は実際あります。お高いですが。(笑)
でも、その値段につり合うだけの価値は確かにあって。一本一本につけられた素
敵な色名を眺めるたびに、わくわくします。この色鉛筆ネタでまた書きたいなぁ。
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