文字書きさんに100のお題[093.Stand by me]

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 7月の初めに壬生の電話が鳴った。かけてきた主はというと、用が無ければ滅多に言葉を交わすこともない相手、御門晴明からだった。…仲が悪いのとは少々違うが、かといって特別仲が良いわけでもない。
 『とある方から頼まれましたので。7日の日暮れ前に此方へ来て頂きたいのです。…ああ、ついでと言っては何なのですが、その日はマリィ嬢を秋月家当主がご招待してありますので、申し訳ありませんが道中、美里さんのお宅に寄ってのち彼女をお連れしてください』
 ― 七日の日暮れ前。
 内容を小声で反芻してのち壬生は頭の中でざっとカレンダーをめくる。抜かせない予定がその時間帯に入っていないのを確認だけはして、わかりましたととりあえずは返事をした。時間が惜しまれる立場なのだろう、壬生の返答を聞くと即、それでは後日と言い置いて御門は電話口から姿を消した。
 繋がりは切れたと無感情に鳴る通話音をそのままに、珍しいこともあるものだと、御門の呼び立てを若干いぶかしんだ。マリィがよく秋月の邸へ遊びにゆくのは知ってはいたが、その際はいつも村雨か、または式の芙蓉が送り迎えをしていたと記憶している。今は村雨が何処かへ雲隠れ宜しく行方を眩ませてしまっているとしても、正直、壬生に話が来るとは思えなかったのだ。相手が陰陽師なだけに、ひょっとすると化かされたのかもしれない。電話口の向こうに居る相手に呪詛をかけるなど造作も無い腕を持っているような相手は、少々肩がこる。


 それでも。律儀に壬生は約束された日に美里家のインターフォンを鳴らしていたわけで。
 壬生が名を名乗るよりも早く、家の者が内から扉を開く。と、黒い猫が一足先にポーチを軽やかに下りてきて、にゃぁと一声鳴いて出迎えてくれた。そのしなやかな体躯は、けれど昔日を思えば随分と大きくなったもの。いまやマリィの肩に乗るには少々難があるやもしれない。そんなことを考えつつ黒猫の喉を柵越しに軽くひと撫でしてやっていると、視界に服地が映った。
 「イラッシャイ!」
 次いで、晴れやかなマリィの声。
 屈めていた腰を伸ばすと、やっぱりミブは背が高いネ、と微笑って。
 「いってきますって言ってくるから、ゴメンネ、チョット待ってて?」
 急がなくとも良いのにと穏やかに苦笑を深める壬生をよそに、家の中へ首だけを突っ込むようにして出かける旨を急ぎ告げてマリィは再び玄関先へ身を翻した。其処で待つ、鼻先をひくつかせて主人を見上げたメフィストを抱き上げキャリーケースに入ってもらったらば準備は完了だ。
 「電車で行くから、メフィストには窮屈な思いをさせてしまうのが悪いね」
 そっとケースに触れて呟いた。
 「メフィストはいい子だから、ちゃんとわかってくれてるヨ。…ネ、メフィスト?」
 やさしく宥めるように名を呼ぶと、まるで返事でもするように、鳴き声とそしてカリっと爪がプラスチックを引っ掻く音がした。
 「……もしかしなくとも、怒っているのかな」
 「ウーン、どうかな?そうでもナイ気がするケド。あ。きゅうくつだ、って拗ねちゃったカナ」
 暫く悩みはしたけれど、ふと目が合った瞬間にお互いくすりと微笑ってしまい、考えるのは終いにしようとどちらともなく。
 メフィストには暫くだけ我慢してもらおう。

 幾つか電車を乗り継いで、最寄の駅改札を抜けるとすぐ、マリィはキャリーケースの蓋を開ける。待ってましたとばかりに身を乗り出したメフィストをそっと腕に抱え込んだ。
 もう半分ほども沈んだ太陽がうすく長くのばすひかりに猫のひげがそっと煌いた。

 その、ふいに強く赤みを増した陽射しにマリィは眩しげにまたたいて、ほんのりとあかく染まった瞳を壬生にむけた。
 ねえミブ?と呼びかける声をそっと添えて。
 「ボンヤリ夕陽を見てるとネ、なんだかとっても、えと、切ない…?そういう気持ちになるノ。どうしてか、ミブはワカル?」
 「…きっとね、夕陽を見ているとき、ひとは独りじゃないんだ」
 「?」
 「昔の自分が、隣に居るんだよ」
 ― だから、さみしい気持ちが増すのだろうね。
 数多の記憶。今の自分が持つものと、そして隣に居る幼い自分の持つものと。互いに感じあうからよけいに夕陽は心に染み入るのだと、かつて話に聞かせてもらったと思う。おそらくは母に。
 マリィはすこし考える風に黙っていて。何か思いついたのか、ゆるく頷いたのが見えた。
 「さみしかったのカナ」
 誰に問うでもない、ひどくちいさな、やわらかい音。
 「…ああでもね、記憶は人を哀しくさせたりもするけれど、― 想い出は人を救うことも、あるんだ。だからひとは、昔の自分を捨てられないんだよ」
 もしや、自分に言い聞かせているのだろうかと思う。隣にいる、昔の自分へと。そして、今の自分へと。
 けれども。其れを知ってか知らずか、マリィはふうわりと微笑うので。
 少しだけ、壬生は罪悪感を。そしてたくさんの嬉しさを憶えた。

 「― ウン。…あ、だから、すごくすごくキレイに見えるのカナ…?かなしいこととか、しあわせだったこととか。そういう気持ちって、キレイになっちゃうモノ。ネ、ミブはどう思う?」
 実を言うと、そう来るとは思ってもみなかった壬生であったので。僅かばかりに目を見張り、ややあって小さく笑みを零した。
 「うん、僕もそう思うよ」



 「そうだ、マリィ。今日はまた、いつもより楽しそうだけど。…七夕だからかい?」
 あらためて足取りも軽く目的地を目指すマリィにつられたか、壬生も何やら嬉しくなって聞いた。
 「ウン、ソレもモチロンあるけどネ。デモ、ソレだけじゃナイヨ」
 「それだけじゃないんだ」
 やわらかく反芻する壬生にマリィは悪戯っぽく笑って、シコウにはヒミツダヨ?と囁いた。どうして村雨さんに秘密なのだろうと不思議に思ったのも束の間のこと。
 「アノネ、ミブのいうイミだけじゃナイんだヨ。今日はネ、シコウのお誕生日ナノ。ピッタリだよネ?」
 マリィが非常に楽しげであった理由に漸く納得のいった壬生は、ふと、訊いてみたくなった。
 「どうして七夕が村雨さんにぴったりなんだい?」
 そうしたら、マリィは待ってましたとばかりにきらきらとした瞳を壬生に向けて、ふうわりと笑顔を見せた。
 「だって、シコウにお願いしたらどんなコトだってかなうモン。薫オネーチャンも、ソウ言ってたヨ!だからネ、七夕はシコウにピッタリな日なノ」
 「…ああ」
 其れは、祈りをうたうような響きだったから。ながく説明されるよりずっと解かりやすく。了解できたということで、壬生はふっと微笑った。
 「成る程そうだね。確かに、村雨さんにぴったりな日だ」
 ― あのひとは、自分の力で物事を叶えられるだけの力を持っているから。
 明るさを落としていく世界に同調するような、ゆるやかに沈む低い声。
 「……ミブは、違うノ?そうじゃ、ナイノ?」
 「…残念ながらね」
 どうしてそれでも、マリィを気遣うように喋るのだろう。
 儚く。深まる影に溶ける言葉。― こんなにも近いのに、遠くを目指し消えてしまいそうな其れは、何故だかとても哀しくいとおしく。離れないで、と縋る想いは心を急いた。
 「じゃあ、マリィが一緒にお願いするヨ。ミブがヒトリじゃムリだったら、マリィが一緒にお願いするヨ!だから、きっときっとダイジョウブだヨ」
 白く小さな掌が初めは戸惑いがちに、そしてそっと伸びて、骨張った壬生の手をきゅうっと掴む。やわらかく、仄かにあたたかく。
 自分のほうが一回り以上も大きい筈なのに、包み込まれるような心地良い錯覚。傍目にわかるかわからないかの微笑みが壬生の口元に浮かぶ。
 本当は。差し伸べたこの手は嫌がられるかとマリィの心臓は嫌な音で騒いでいたのだけれど。壬生は相変わらず困ったような顔をして、けれど其の目元はやさしいまばたきがされるから。
 マリィは、うれしくて微笑った。
 そうしたら壬生は、暮色に透くような声音で少女の名前を囁いて。
 「… Small lady,Please stand by me when the needs arises ……」
 「Sure!」
 きらきらと耀く瞳と、迷いを知らない弾む声。やわらかに揺れる、金の髪。
 壬生は、とても勝手なことを言ったのに。



 ― 何故、君はそんなに嬉しそうに微笑ってくれるんだ。
 胸の何処かにつかえるような重苦しいものは、泣きたくなるほどあたたかかった。

 …壬生だって、解かっているのだ。自分が甘えてしまったということくらいは。
 何も、そう、なにも話さずにいれば良かったのだろう。しかし話してしまったことはもうどうしようもなく。
 想いはマリィに届いてしまったから、だからもう壬生は諦めを飲み込み、そっと手を握り返した。
 「……ごめん、だいぶ時間を喰ってしまったね。行こうか」
 「そんなコト、ナイのに。…ミブはいつもトッテモやさしいネ」
 「違うよ、君が優しいんだ」
 ― 僕は君とは違うんだよ。やさしくされて漸く、やさしく出来る。やさしくされたいから、やさしくなれる。

 嗚呼、結局のところ。よほどの例外なくして、ひとは己の倖せのためにのみ生きるのだ。

 だから壬生は、口にしてしまったのだ。
 ― 困った時には、力になってください。
 …と。

 この身には過ぎたかもしれないちいさな願いごとを、口にした。
 …いや。其れはちいさく、けれどあまりに利己的な願いごとだった。
 何処からか匂う雨の兆しに、言葉にし難いほどのせつない痛みと、そしてまた同じくらい愛しい倖福の在り処を嗅ぐ。

 其れは七夕の夜を迎えるすこし前。
 ゆらめいて暮れなずむ空に家々の明かりが仄かに灯るなか、緩やかに下る坂道を歩いた。




 あくる夜。マリィはいつものようにキッチンで、夕食の片付けを美里と仲良く並んで済ませてゆく。姉の洗った食器の水気を布巾で拭いながら、ふと、マリィはちょっとだけ訊いてみたくなった。其れは、前々からうっすらと思っていたことで。
 「葵オネーチャンはミブのコト、キライ…ナノ?」
 「そうね、嫌いだわ」
 やんわりと絹地を滑るような物言いは崩さず、しかし意味を違えようも無く明瞭な発音。けれどマリィは眉を顰めもしなかったし驚きもせず。ただ、すこし小首を傾げてその蒼い目で瞬いた。
 「…キョウイチが、居なくなっちゃったカラ?」
 美里の目に寂しげな色合いが混じったのはほんの一瞬の出来事。おりた瞼があがる頃には、消えていた。
 「マリィはとても賢いのに。……ほんとう、壬生君は鈍いわね」
 其れはひどく勝手な逆恨み。
 極端な話だけれども、壬生が拳武に関わっているから悪いのだ。と言うのも、拳武館などという組織が無ければ、もしかすると京一は遠い彼の地へなぞゆかなかったかもしれなかったから。思えばあれ以来なのだ、気付けば京一が時折何処か遠くを見るようになったのは。
 …嗚呼、けれど本当は、美里だって解かってはいるのだ。彼はこの街を好いてはいるけれど、ずっと此処に留まるほど小さい器ではないことも、そして、あの時負けなかったとしても、いつかきっと己の腕を鍛え直すべき未来を見出していたであろうことも。きっちり解かっていて、…それでも、拳武に関わる壬生が恨みがましいのだから仕方ない。言ってしまえば、すべてはとても勝手な心のわがまま。
 だから、美里はあえてマリィの問いにはっきり応と答えなかった。其れに、言わずとも知れているのならば口にせずとも良いのだ。きっと。
 「ソレで、ミブをイジメちゃうノ?」
 「さあ、どうかしら。ただ、そうね…壬生君のことは、まだまだ当分好きになれそうに無いかも。ごめんなさいね、これからもマリィをだしにして壬生君に意地悪しそうだわ」
 「デモ、マリィはミブのコト好きダヨ」
 まっすぐに見つめてくる義妹に美里は、知っているわと囁いた。
 「もちろん知ってるし、だから丁度良いのよ。少なくともマリィに迷惑はかからないのだから」
 「……ミブは迷惑かも」
 どこかしら沈んだマリィの声音を美里は聞いて、それで微笑った。
 「私のことはね。大丈夫よ、マリィには何時だってやさしくしてくれるでしょう?」
 これには無論うなずく。
 ついこの間だって、胸の奥があたたかくなるような言葉をたくさんくれた。マリィは壬生の声が好きだから、思い出す時はいつもあの心地良いトーンをまぼろしに奏でてしまう。
 「ウン。いつでも、ミブはとってもやさしかった…」
 彼は、とつとつと語る言葉にそうじゃないと言ったけれど。やさしくされたいからやさしくするのだと、さみしげに呟くように言ったけれど。マリィはその科白をこそ否定する。やっぱりどうしたって、壬生はたしかにやさしかったのだから。マリィは其れが嬉しかったのだから。
 「ほらね?だから、マリィが気にすることなんて何も無いの。…もう折角だし、壬生君にはマリィの付き人になってもらいましょうか」
 「…ツキビト?」
 耳慣れぬ響きを反芻するマリィに、美里は「そう、付き人」心なしか楽しげに言い改めて、優雅に笑む。
 「いつでも、マリィの傍に居てくれる人のことよ。望めば、ずっと」
 「…いつでも?……ずっと?ミブが…?」
 そうであるなら、いつかそうなるのであれば。…マリィは泣きたくなるくらいしあわせだと、思った。
 なによりマリィ自身が、壬生の傍に居たいと願い、勝手な約束をしたから。ふと見上げる先に、あの物静かな面立ちが優しさを湛えてくれれば良いのにと。
 嗚呼、だから。マリィが壬生の傍に居たいなと思うときに、壬生がマリィの傍に居てくれれば。其れはとても、…とても嬉しいこと。
 「…ソウなってくれれば、嬉しいナ」

 短冊に書くこともなく、ただやさしき七夕のゆうべに願った祈りは、果たして宵に紛れて何処へいったのだろう。
 もし、夜が掬ってくれていたなら其れをこそマリィは星に捧げたかった。

 


+++終。 

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副題:菩薩の入れ知恵

という怖いネタはおいておいて。
壬生マリです、実は一年以上熟成させてました…去年の七夕間に合わなかったのです。くーやーしーいー…。ので、今年は色々加筆修正して七夕後にアップとなりました。

皆様は、今年の七夕どうお過ごしになられましたか。


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