+++「君に贈ることば」 昨日はクリスマスイブで、『彼ら』は例年通り如月邸を半ば強引に貸しきっての大騒ぎをやらかしてしまったわけなのだが、一夜明ければ仕事に学校にと消えた者も多かった。 そんな中、何故か如月に捕まってしまった壬生は後片付けを最後まで手伝い、さあお暇しようかと思えば今度は美里が背後に居たりした。これは不幸というなかれ。 壬生はこういう星回りなんだと誰かも言ったのだから。 …ともかく。本能で心が身構える壬生。其れとは裏腹に微笑を絶やさない美里。 彼女の場合は女手代表で手伝っていたが、いまやすっかり帰り支度な様子から此方も如月に解放されたらしかった。 「ねえ、壬生君。今日はこれからどうするの?」 「……………どう、と言われても。岩山先生に用事があるからまずは桜ヶ丘に寄って、それから母のところに行こうかと。…目立ってはそれくらいかな」 美里の行動に関しては今更驚くほどでもなかったので、たっぷりの沈黙を経たものの割と素直に答える壬生。別に隠すほどのことでもなかったし、寧ろ隠してどうなるとも思えなかったのも正直なところ。 其れを聞き、さらににこやかになる微笑みに内心たじたじとなるものの、見た目はすこぶる普通で、少し、困った顔をするだけなのは流石だ。…流石だと思いたい。 そんな内実を知ってか知らずか、美里はさっとマフラーを首に巻きつけにっこり笑うと壬生の隣を通り過ぎ様に言ったのだ。 「もうすぐしたら出てくると思うから、マリィを宜しくね。それじゃあ今日は御苦労様」 「え?ち、ちょっと美里さ」 メリークリスマスの呟きを残して音も軽やかに閉まった引き戸に伸びかけた手は虚しく。 ミブ?と可愛らしい誰何がされるまで、暫く玄関で大の男は困り果てていた。ややあって、ドウシタノ?と聞かれて漸く目をしばたかせたほど。 「…?ア!葵オネーチャン、まだ来てない?ミブ、オネーチャンのコト見てない??」 「……マリィ、美里さんならついさっき」 ―帰ってしまったよ、と言いかけて、踏みとどまるのは賢明だったと思われる。言葉の雰囲気に、目に見えてマリィの表情が翳ったからだ。 ほんの少し考えて、そうして壬生は決断した。 「いや、その。美里さんは何か他にはずせない予定が出来たとかで、帰ってしまったんだけれど。マリィは今日これから桜ヶ丘に行くんだろう?…その、僕もあちらには用事があるから良ければ一緒にどうかと思って。美里さんには了承を貰ったんだけれど……いいかい?」 …マリィが微笑ってくれたから、壬生はもう先刻の戸惑いを綺麗さっぱり忘れようと思った。 「ミブといっしょは、ウレシイヨ」 目に鮮やかな赤いコートが寄り添うように居並んでくれたなら、もうそれだけで。 「良かった」 ふっと低く微笑って外へ出れば表の枝折戸から歩いてくる如月と目があう。 御邪魔しました、と目礼すれば、どうもお世話様と涼やかに返ってきたのに、マリィが如月にバイバイ、と手を振ったら如月はやわらかく微笑んで軽く手を振ったものだから、壬生は苦笑するしかなかったのだけれども。 考えてみれば自分も如月の態度とそう変わらないかもしれないなと、思ったのだった。 だから、まあ良いのだ。 病院への道すがらも、着いてからも、マリィは実に楽しそうに喋った。壬生は専ら聞き役で、事実、彼には其れがもっとも似合っていたのだ。 けれど、壬生が何とか応えようと精一杯考えて学校生活のことを訊ねたら、 「…チョットダケ、疲れるときもあるヨ。エット、…ヒトヅキアイ?…ってむずかしい、ネ。…ぁ、デモデモ、学校はとってもタノシイ!」 …なにやら微妙に外してしまったらしく。 マリィがトイレに立ったのを機に、手持ち無沙汰で持ち歩いていた本を開いた。 先ほどのマリィの答えを気にしつつも目は文字を拾えるのだから不思議なものだが、やはりというか、内容が読み取れない。 それでも表には何も出さない壬生の耳にタイル床に響く靴音が聞こえ、ゆるやかに止まった音主は遠慮がちに視線を投げかける。 ― ミブはよく本を読んでるケド、…タノシイ? 桜ヶ丘の一般客が使用しないとある通路の一角で。金髪の少女が長椅子に座って読書をしていた青年に訊ねた。 問われた壬生が本から目を離し、栞を挟んで頁を閉じると、ゴメンネ、と息を呑む気配がしたものだから、良いよと。呟きは廊下で静かに響いた。 「マリィが謝る事は無いよ。…君と話したいと思ったから僕は本を閉じたんだ」 そう言ってから上げられた顔は、普段と同じく少し困ったような、けれどやさしいもので。だからマリィは、ほっとする。 「アリガト」 うん、と頷く声はマリィの耳にくすぐったいほどだったので、ついつい微笑ってしまった。 「エト、ミブ?本は読んでてタノシイ?」 「ものに由るけれど、概ね楽しいよ。…そうだ、マリィはヘレン・ケラーという人を知っているい?」 「ぅ…ン、チョット前に聞いた気がするヨ!」 …そうか。ならば丁度良いと、その目元で仄かに滲ませるような頬笑みがマリィは好きで、僅かの知識だとしても知っていたことを嬉しいと思った。 そんなマリィの胸の内を知る由も無く、壬生はやわらかく音を紡ぐ。 「彼女はこう残しているんだ。― 『本は、わたしが見ることのできないおもしろいことをたくさん教えてくれます。それは人間のように疲れたり、困ったりすることはまったくありません。くり返し、くり返し、わたしが知りたいことを教えてくれるのです』…とね」 壬生は一旦言葉を区切ると、マリィの蒼い双眸にひたっと自身の視線をあわせ、そして再びゆっくりと続けた。 「確かにね。本は、僕やマリィが経験し得ないことを如実に表現してくれるもので、おもしろいことが世にはたくさんあるのだと、いつも何度でも知りたいことだけ教えてくれる。…けれど。本にしろ、映像作品やら他のメディアにしろ、僕らはひとが創りだしたものに触れ、面白いと感じているんじゃないかな。……だとすれば、マリィ」 ― …そうだとすれば。僕らが本当に面白いと感じているのは、ひととの関わり合いなのだと、思うよ。 マリィの心にすとんと落ち込んだものは、すぐに馴染んで染み入って、余韻のようなものがすみずみにゆきわたる。その何とも言えない心地よさ。 ゆるやかに、ひとつずつ言葉を慎重に選んで話してくれる壬生の声はひどくやさしい。やさしくて、すこし哀しかった。 それは、ヒトという存在との関わりを時に消さなければならない辛さを知っている響きだったから。マリィには壬生の言葉に在る雰囲気がわかってしまった。 だけれどもそれ以上に、そのようなものをすっかりくるんでしまうほどのあたたかさがマリィには嬉しかった。 ゆっくりゆっくり、壬生が話してくれたのは。マリィが、学校で人間関係に悩むことがあるのだと慮っての気遣いなのだろうから。 …昔。ちゃんと喋りゃイイヤツだと京一が笑って言っていたことを思い出したけれど、でもそれは、壬生が丁寧に話すひとであると解かっていたのではないかと、ふとマリィは思い。 あのとき京一の言ったことは正しかったのだと、今あらためて理解し、目の前のひとを見つめた。 そうして、聞いてみたくなった。ほんの少しの期待をもって。 「…ドウシテ『ダカラ』じゃなくって『ダトスレバ』って言ったノ?ソコは『ダカラ』じゃダメなの?」 僅かに目を見張った壬生は、それでもすぐに瞳の光を和ませた。 「今さっき言ったこと、其れは、多くの考えの中でのひとつの考え方だよ。『だから』という言葉で結論と結びつけると、否応無く固定されてしまうね。『そうだとすれば』という保留をつければ、ひとつの条件からは実に幅のある考え方ができるのだと見れるだろう?…さっき話したことについては、『だとすれば』を使った方がいい、そう思ったんだ」 「ドウシテ?」 「……僕は。…マリィ、君がきみなりの考えを出してほしいと望んでいるんだろうね」 マリィの唇は震えたのに、言葉が出なかった。 何か言わなくてはと思うのに、何ひとつ言葉に出来ないほど、うちに響いたので。 ゆらめく蒼い瞳に、壬生が気持ちを読み取ってくれるならば良いのにと願う。 だけれどそううまくはゆかないことを知っているから。 なのに遠くで、壬生の名を呼ぶ誰かの声がして。 ああどうしようと焦って口を開けば、あたたかく大きな、壬生の骨張った手がマリィの頭をやさしく掠めた。其れは撫でられたのだと気付くにはちょっと短かったけれど、たぶん、きっとそうなのだろう。 「じゃあ、僕はこれで失礼するよ」 立ち上がった相手を少し名残惜しげに見て、寂しそうな顔をしたマリィのちいさな手を取り、壬生は、図らずも如月と同じように、別れ際マリィにやわらかく微笑んだのだった。 「…メリークリスマス、マリィ」 「メリークリスマス!」 ちいさなしあわせが弾けて拡がったような、気持ち。其れはほんのり甘くて。 昨日も今日も、マリィはたくさんたくさん其れを貰って、嬉しくて、だから。 めいっぱいの笑顔で、そう言ったのだった。 …めいっぱいのありがとうを込めて。 願わくばまるまますべて伝われば良いなと、祈りながら。
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今年(2002)のクリスマスネタは壬生マリで。
マリィの誕生日を祝うに少し時間が足りなかったので、そのぶんクリスマスに
かこつけて何か書くべし!と勢い込んで書いた割には。…前回からの進歩も
何も無く。(苦笑)またもやありきたり〜な展開になってしまいました。けほっ。
でも、私としてはとても、とても好きなお話になったと思います。………うん。
次があれば、また頑張ります。それでは皆様メリークリスマス!!(ぎりぎり)
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