+++「夢見るように、貴方を想う」



 あのね。そう呼びかける声は、すすり泣きをようやく収めたところなので僅かながらに鼻声だった。

 「父上様は、もう眠い?眠くない?」

 ―眠い?と幼い少女は聞いた。

 記憶に被る、幼い自分の声。憶えていたのはいつぞやの夜だ。

 懐かしきは思い出せぬ方がしあわせだと思っていたのに。…喪われたぬくもりを取り戻せたような錯覚は、去った後にひどく哀しくさせるから。

 けれど今は忘れずにいて良かったと思うのが可笑しかった。

 まぼろしを想うことを赦してくれるその者があまりにやさしすぎて、心の奥底からゆるゆると拡がる記憶の夢をほどく。

 「雪が眠いと言うなら寝る。眠くないと言うなら起きている」

 ―お前が眠いなら、と男は微笑った。

 ―其れはどういうことだろうと小首をかしげる彼女に、娘より先に寝るつもりは毛頭無いのでなと、また一つ笑みを零す。

 …ああ。そこににじむやさしさが好きだった。

 そして今もまた、好きだと思う。

 触れる空気に漂うものはあたたかくて、また少し視界が淡い光にぼやけた。

 「お前次第だな」

 ―お前次第ということだ。

 「…そうなの?」

 容姿をはじめ、声も。何もかもが違うのに。

 「そうだな」

 「……夢に見たひととも、昔、同じようなやり取りをしたの」

 「其れは、父親か」

 「…うん。わかる?」

 「……何となくな」

 似ているのだ、与えてくれる全てが。

 ならば。問えば教えてくれるだろうかと、思う。

 父に聞きたかったことがたくさんあった。

 昔日の自分にはついぞ与えられなかった答えを、今も求めている。

 だから時折夢をみた。― 父親の夢を、みた。

 この胸に抱く問いを発するのは、まだ先だろうけれども。

 返ってくる答えが父本人のものでなくとも構わないし、そうでないことなど解かっている。…ただ訊きたいだけであり、ただ聞いてほしいだけなのだ。

 いつか、話せればいいと願う。

 今宵のような素晴らしい日が。

 心地良いまどろみがもたらされる、夜が。

 来ればいいと願う。

 「実はね、眠いの」

 「ゆっくり寝るといい」

 …来るだろう、きっと。



 雪花は、わかっているのだ。自分が、家族というモノを欲してやまない困った病にあることを。

 そして、周りも重々承知しているのだ。自分たちに望まれているものが何なのかを。

 ―どうしてこんなに、優しい人ばかりなのだろう

 ―どうしてこんなに…

 愛情だけを貪欲に欲しがる幼な子のような自分に優しくしてくれるのだろう、と思う。

 そこにあるのは微細な罪悪感だ。

 家族の代替という存在以上に、いとおしい気持ちは充分すぎるほどあるけれども。

 それでも。何も言わずに付き合わせていることは、すなわち騙していることに相違ないのではないかと気に病んだ。

 ゆっくりと眠りに引き込まれてゆく意識を押しとどめて、小さく口を開く。

 奥深くに引き篭ろうとする思いを無理やり言葉に換えようとして。

 「…父上様、あの、ね?……私…あの…」

 『― 雪。…』

 ― あのひとも、私のことをこう呼んだ。このひとも、そう呼んでくれた。

 「今、無理やり押し出さなくてはならないような言葉でないなら言わなくていい。…いつか、何のつっかえもなく話せる日が来た時にゆっくり話せる内容なら、それまでしまっておけ」

 …換えようとしたのに。見透かされたように、やんわりと宥められてしまったものだから。

 胸の奥が小さく、ちいさく鳴いた。

 ―此処には、やさしい鬼ばかりが棲んでいる。

 ―あまりにやさしい鬼ばかりが。

 「それまで、一緒に居ても良いの?」

 「お前が望むなら、いつまででも」

 やさしい鬼が寄せた言葉は、ひどくあたたかだった。嘘か真かと疑心する気などおきぬほどに。

 だから、雪花は心地良い。

 誘われる夢の世界はきっと安らかなものだろう、と堕ちながら思う。



 ほどなくして静けさを取り戻した月夜の晩に、己の腕の中で聞く者も穏やかになれる寝息を立て始めた少女を見つめる男は、何を思ったのやらは知らないが、眠る娘の髪にそっと唇を寄せ。

 「…お前の見たものが父親の夢であるならば役に立てたろうか。……もし今宵がそうであったなら、嬉しいものだな」

 やわらかく微笑む男が瞳に滲ませたのは、愛情の類にみえた。




 だとしたら雪花は、わかってはいないのだ。

 この村で自分が懐いている者たちが、家族というものに飢えていることを。

 周りが、ある種の渇望を抱いていることを。

 愛情を向ける対象を心の何処かで切望していることを。

 それら多くを、わかってはいないのだ。

 けれども、わからないままでも良いのかもしれない。

 けれども、わかったほうが良いのかもしれない。



 幾多の夜を重ねたのちに、夢見るように想うまでわからないだろうか。

 だとしたらそのとき誰を想うのだろう。

 目を閉じてもなお映る、心に佇むひとはどのような眼差しをむけてくれるのだろう。

 ああ、それまで。

 それまではゆるやかな夢を見ていよう。

 そして、夢見たあとで、貴方を想おう。

 いつか夢見るように想う日が来るまで。

 喪った声が降るまで。

 


+++終。 

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外法帖SS第七弾です。…またまたまた親子愛ー。(これもそろそろ微妙ですか)


えとですね、このお話は「夢見たあとで、貴方を想う」の続きということなのです。


雪花が、どうして天戒らを本来は家族に使う呼称で呼ぶのか、その理由の一端

が垣間見られたかと思……ぇ?わかりにく、い…?………うっ…。(咽び泣き)

すみませんすみません、今回かなり好き勝手に書いてしまってます…。がくり。

ほんのりEDっぽい終わり方になってしまった感が強いですが、終わらせてるつ

もりは無いので、たぶんまた書きますー。…そしてまた突っ走るのですな。乾笑



◆◇◆

このSSもまた、刃迎サマへ捧げさせていただきます。

前回の続きですし。何より先だっての感謝も込めて。(私信か)
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