+++「夢見たあとで、貴方を想う」



 時折、雪花は夢を見る。

 しあわせな、しあわせな、夢。

 忘れえぬ人が、自分に微笑いかけてくれている、そんな夢。

 しあわせだ。

 …しあわせだから、哀しくなる。

 これは夢だと、夢なのだと、わかっているから。

 もう、その人の暖かな手を取ることは出来ないから。

 其れがわかっているから、哀しくて、顔を歪ませたら。

 その人は穏やかに笑んで、決まって何かを言うのだ。

 『…――――』

 けれどいつも、聞こえないから。

 だからいつも、つたう涙で目が醒める。





 「また、聞こえなかった…」

 ちいさく呟いて、身を起こす。

 「また……」

 じんわり溢れ、零れそうになる涙を指で拭って、流れ落ちるを押しとどめる。

 天井を仰ぎ、下唇を軽く噛んで、肩で一つ息をする。

 あの夢を見た後の自分を、落ち着けるために。

 暫く目を瞑っていた。次にうっすら瞼を押し上げた時には、涙は引いていた。

 …無理やりに引っ込めたからだけれども。

 もう一度寝なおせるかどうか、すこし悩んでみる。

 ふと見れば、障子からおぼろげに透ける光が部屋に広がっていた。それは、今宵が晴夜であるということ。

 またすこし、悩む。

 ―月を、見てみようかな

 ややあって、答えは出た。

 夜具はそのままに、庭へ面した廊下へ。この屋敷は、気配に聡い人たちばかりであるから、足運びは自然と忍んだものになる。

 障害物に邪魔されずに、一番月が良く見える場所を探してそろそろと進み、曲がり角を幾つか経たところで、雪花は廊下にぺったり座り込んだ。

 もう其処がどのあたりなのかなど、気にもせずに。

 やわらかなひかりは、何故だか暖かくて。まるい形を眺めていたら、弱っていた涙腺が、また緩んだ。

 ほろほろ零れるものをそのままに、ただただじっと、ぼやける月を見ていた。

 すうっと吹いた風が、肌を伝ううちに冷えた涙のつめたさを感じさせ、ぼんやりとしていた意識に現実が戻る。…其れと同じくして、身を竦めた。

 冷たさに、ではなくて。背後に、誰かの視線を感じてしまったものだから。

 しかも其れは、屋敷に忍び込んだ曲者の類では無かったから、もうひたすら、申し訳無い気持ちで胸がいっぱいになる。

 何しろ雪花の部屋の周りというのは、この村の核になる人間たちが寝起きしているので。

 取れる睡眠を台無しにして起こしてしまうのは、避けたいことであったのに。

 「雪…こんな夜半に、何をしている?」

 溜息混じりの男の声。苛立ちを含まないように気をつけている優しさが、更に雪花の罪悪感を増す。

 眠りを妨げた相手にも気を配る者を、起こしてしまったことが後ろめたかった。

 ただその一方で、後ろに居る男に遭遇したことを嬉しく思う自分が居たのも、事実であって。

 「…あのっ……その…起こしてしまって、ごめんなさい…」

 そういう想いを抱いてしまったのを言外に含め、起こしてしまったことを謝れば、其れはいいと。其れはいいから、先の問いに答えろと返ってくる。

 すぐ後ろにまで近付いてきているのだと分かるほどに、声が近い。

 本音を言うと、このまま立ち去ってくれた方が、泣き顔を見られずに済んだのだろうけれども、相手の性格上、そうはいかないようだ。

 「…えと……」

 悩んで悩んで、ようやっと首を捻って仰ぎ見れば、雪花が父と慕うを許してくれた天戒が、膝を折って隣に座ろうとしているところだった。

 天戒は、雪花の頬にはっきりと見て取れる涙の跡に、やや眉を顰めはした。顰めはしたが、すぐに、ふっと顔をほころばせ、雪花の頭に優しく手を置いた。

 「父上様…」

 「あまりに返事が遅いからな、こんな所で眠ってしまったかと思ったぞ」

 「ち、ちがうもん…っ」

 「わかっている」

 叩いた軽口にむくれる雪花を、あたたかく肯定してやる。

 すると、居心地悪そうに、ほんのり頬を紅潮させるものだから。

 そのわかりやすさに、天戒はにじむように、微笑った。



 冗談を交えた会話のあと暫くは、何も話すことなく二人して月を見ていたりもした。

 どれくらいそうしていたかは知れないが、どちらからともなしに、互いの顔を見合わせる。

 「夢をね、みたの。…とても、しあわせな夢」

 呟く声音には、例えようも無いほど、ひどくいとおしい響きがあった。

 「ならば、なぜ泣いていた?」

 「しあわせすぎて、哀しいものだったから。…もう逢えないとわかっている人に、其れが例え夢の中であっても、逢えるのは嬉しいことね?其れはしあわせな夢。でも、だから…とてもとても…哀しい夢。私はもう、逢えないのだということを、思い出させるから……」

 天戒が言葉を挟む隙もなく、雪花は淡々と喋り続ける。

 「でもね、本当に哀しいのは、別のことなの。その夢の最後の辺りがね、いつもいつも、聞こえないの。どうしても、聞こえないの。微笑みながら何を言おうとしているのかが…わからない……。其処で目が醒めて、もっと、哀しくなる…」

 ―…駄目ね。わかってあげられない私は、駄目ね。

 寂しく、微笑う。

 吐き出された言葉には、色々なものが混ざっていて。その紫珱の瞳は、天戒では無い別の誰かを捉えていた。

 しかしそのようなことなど、どうでも良かった。夜気に冷えた雪花の身体を引き寄せ、抱きしめた。

 そうすることしか、出来なかった。

 「大丈夫だ」

 「…っ………」

 落とされた言葉は、雪花にまた、涙を流させた。何処かで塞き止めていたものが終に溢れたように、とめどなく。

 ああ、きっと、その言葉だったのだと。理由などなく、雪花はそう確信した。

 探し求めていた答えが、これほどまでに簡単に見つかったのが嬉しくて…泣いた。

 「…俺は、此処に居る。だから」

 天戒自身は、雪花が見た夢の内容を本人と同じくは理解していないけれども。

 だけれども。言ってやりたかった。

 「大丈夫だ」

 夢の中の人物が言いたかったであろうことを、伝えてやりたかった。

 正しく其れが、その者の伝えたいことではなかったとしても。

 「雪」

 なだめるために名を呼んで、気付く。

 そう。

 ただ自分が、言いたいだけの言葉であったかもしれない。

 腕の中の娘に、大丈夫だと言い聞かせてやりたかっただけなのかもしれない。

 そのような翳りのある言葉では、やはり駄目かと。

 ただ泣きじゃくる雪花に、心が疼く。

 天戒の想いが伝わっていることを、知らぬがために。

 雪花はと言えば、染みいる声がやたらに嬉しいあまりに、うまく気持ちをあらわせずに居ただけなのだが。

 温かなぬくもりに身をすり寄せながら、か細く『ありがとう』と囁くのが精一杯で。

 しかし、そのたった一言で、いったいどれほどの安寧を相手にもたらしたか理解しているのだろうか?

 「雪……」

 今にも泣くかと思うほどにやさしい声音で、名を呼ばれ。

 夢に見た懐かしき人を、想い

 今此処に居る愛しい人を、想う。

 どちらも、父と呼んだ。

 どちらからも、雪と呼ばれた。

 …やさしく。

 


+++終。 

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外法帖SS第伍弾です。…こりもせずに親子愛。


まあそゆわけで。

またまたまた親子愛な関係の御屋形様と女主ちゃんのお話です。

うーん…なんって良い人なんだ御屋形様…っ…!(くぅっ)

好きだなぁ…。(いや誰も聞いてねぇし)

と。今回のお話で、「親子愛」な部分がすこうし揺らいでしまいましたでしょうか。

それとも、さらに深まりましたでしょうか。

この二人がどうなるのかは、書いているワタシにも分かりません、ホントに。

お話の中でどんな風に動いてくれるのか、それはもう宿星のみが知っているのですよ。

そうそう。”紫珱”は”シヨウ”とお読みくださいませ。勝手に作った単語です)



◆◇◆

このSSは、刃迎サマへお祝いに捧げさせていただきます。

らぶらぶ(爆)な二人を目指してみたのだけれども、満たされましたか?

(…しかしその、おお遅くなって済みませぬ…っ…。)
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