---夕さり---


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表には、『本日休業』の札。

でも、気にしないのです。

横の細い路地に入って、裏木戸をそっと押し開けて。

きぃっと微かな音がするのが、好きなのです。

表からは窺えない草木の匂いを感じながら歩けるから、好きなのです。

お店の表戸のほうよりも、強めに張ってある水の結界が震えて、路をあけてくれるのが、”好き”なのです。

だから、わたしは裏木戸から入れる日が、とっても好きなのです。

黙って入っても、あの人は文句を言いません。

とてもとても…嬉しいのです。



きれいに掃き清められた飛び石伝いに、庭へ。

庭へ入ったら、真っ先に縁側に座るのです。

座って落ち着いた頃に、あの人は、やってくるからです。


…でも、今日は居ないみたいなのです。

いつもなら、もうお茶の乗ったお盆を持って其処で微笑んでいるはずだからです。

でも、いいのです。

待っていれば、あの人は必ずここに帰ってくるからです。

ここでの時の流れは、少しだって無駄だと思わないです。

それに、ここは…あの人の住む家だから、少しでも長く居たいのです。



主が居なくても、ここはわたしを優しく迎えてくれて、そっと包んでくれるのです。

気持ちよくて……うとうととしてしまって…でも、それだってここは許してくれるのです。



少しだけ…あの人が、帰ってくるまで……

さわり、と頬を撫でる風に誘われて、まどろむのも…

良い、ですよね?……・・・・・・








…なにやら、とても深く眠りに入ってしまっていたみたい、なのです…。

ふ、っと意識を覚まして一番に探すのは、あの人。

……まだ、帰ってきていないみたいです。

んー、でも、それは良いことなのです。

帰ってくるまでに目が覚めたということだからです。



軽く伸びをして、息を吐いて。

どれくらい時間が過ぎたのでしょう?

もう夕陽がだいぶ傾いて、庭が紅いです…






わたしは、ぼんやりと目を庭に向けました。

そこには…あったのです。

「…あ………」

”それ”が目に入って、すごく嬉しくなったのです。

風に揺れる 花。


もっと近くで見たいと思ったのです。

見なくちゃ、と。


手を横について、反動をつけて

体を、浮かして。



”あの人の、花。”

手で、触れたい。

そう、強く思ったのです。

なのに…歩き出そうとしたら、不意に、視界が揺れました。








上品な、香の…匂い。

いつもは少し低いのに、今は少し高い体温。

いつも涼しげで、いつも優しい氣。

あれ…?今日は、いつもと違う匂いもするのです…。

知っています、この匂い。

貴方が好きなものの匂いです。





一つ一つを、身体で認識している間にも…

和服から覗く、白くて長い腕は、

わたしを、離してはくれません。

何処となく震える息遣いが、わたしの髪を滑り落ちて…




「待って…帰らないで、くれないか」

「…え?」

何か勘違いしているみたいです。わたしは、何処にも行かないのに。

そんなに息を切らせて……どうしてそんなに焦っているのですか…?



「済まない…ずいぶん長い間、待たせたみたいだ…」

「いいえ、ここ…大好きですから。待つのは、好きなのです」

「でも、さすがに待てなくなったんだろう?……君が、帰りたくなるほど…」


思わず、くすりと微笑ってしまいました。

貴方はきっと、わたしの後ろで怪訝な顔をしてるのです。


「……いつも、わたしのことばかり気にしてくれるのです、ね?」

「もちろん」

そうやって、わたしのことばかり…です。



「ダメです」

「……何が?」

「えと、早く読みたいのでしょう?…その本も、貴方に逢えて、とっても嬉しいはずなのです。だから…

早く、読んであげてください。わたしのことなんて、その次でいいのですから」

わたしの身体にまわされた貴方の腕。

手には、四角い形と厚みを持った物をくるんだ風呂敷があるのです。

独特の匂いが、さっきから鼻腔をくすぐるから…貴方が、今まで何処に行っていたのかわかります。

「いや、これは…」

床に置けないくらい大事な物だって、わかってるのです。

「その…ずっと探していた稀少本で……店主に言い置いておいたら、手に入ったという連絡があってね」

そのあと、その本について話し込んでたのでしょう?

「色々とこの本について話していたら、こんな時間になってしまって…その」

ほら、やっぱりです。

「すぐ読みたくて、急いで帰ってきたのでしょう?あの、わたしはもう帰りますから」

「いや、折角来てくれたのに…それに、本は逃げないよ」

「あの花」

「…え?」


すっと、腕を伸ばして、指で指し示すのは、さっき見つけた花。

秋風に揺れる、野芥子。


「野芥子、なのはわかるが…」

「貴方はいつも、あの花なのです」

「?」

「わたしのことを、一番に優先してくれるのは、とっても嬉しいのです。でも…」

「でも、なんだい?…それは君が大事だからだよ」

「自分のしたいことを、もっとしてくれて、いいのです。わたしのことばかりを優先してくれなくても、いいのです」

「…君が、大事だからだよ」

「”控えめなひと”」

「……」

「野芥子の花言葉なのです。翡翠さんの、誕生花です」


―貴方は、あの花なのです。

―憎らしいくらい、控えめなひとです…。


「…そう思う?」

「……違う、のですか?」




「違うよ」



「僕は…こと君に関してはね、どうしようもなく貪欲になるんだ」

―だから、他のことに”控えめ”になってしまうのかもしれないね。


耳に触れる言葉が、どうしようもなく、くすぐったくて…


でも……


とても、嬉しかったです。











―このまま縁側に居ては風邪をひくから。中に入ろう?

語尾は訊ねるものでも、その実、半ば無理矢理家屋の中へと場を移されたのは、良いのですけど。

さて、どうしよう?と、本を見つめる思案顔の貴方に、一つの申し出をしてみました。



「本当に、これでいいのかい?僕だけが良い目を見ているようだけど…」

「はい、これなら翡翠さんは”本を読みたい”のと…その、”わたしをかまいたい”のが、一緒に出来るのです」

「……それは、そうだけれど。君は…」

「いいのです、これで」

だから、こうすることにしたのです。

「そう…?じゃあ、お言葉に甘えて、読ませていただくよ?」

「はい、どうぞです」

わたしは、笑顔で答えたのに

なかなか納得してくれないのでした。

それでも、わたしが微笑っているうちに、納得してくれたようで。



会話は とうに消え

今はただ、人が出すものは息遣いだけ。








ぱらり、と本をめくる貴方がいて

そんな貴方に、すこぅし身体を寄りかからせて

ただただ じっと

貴方を見つめているだけです。




でも


流れるように字を追う瞳の動きも


そっと頁をめくる指の行方も


今は…わたしだけが見ているのです………。





そう 思ったら

とても幸せだったので、思わず微笑んでしまっていました。

でも、別に隠さなくてもいいかなと思って

そのままの表情でいたのです。




あ、れ…?

急に、翡翠さんが何もしなくなったのです………

慌てて、顔を見上げたら、その澄んだ瞳は文字を映してはいませんでした。

…わたしの顔が、あったのです。


「……」

「…あの、どうかしましたか?…!そうですね、やっぱり本を読んでいる分にはお邪魔です、すみませ……?!」

右手が本を閉じるのは、一瞬しか見えませんでした。

それは

左手が

わたしの身体を包むように抱き寄せたからです…。


「…ん…………」

それでもわたしは、最後まで喋ることは出来たのですけど


最後は

翡翠さんの唇が、掠めていってしまいました………



「あんまり、良い顔をしていたから」


―本を読んでいられなくなってしまったよ

そんなことを言って、見惚れてしまう綺麗な笑みを浮かべられてしまったので


「そ…うですか」


わたしは

そう、お返事するしかなかったのでした…。

ただただ 困った顔をするしかなくて。



なのに。

「…全く、君という娘(こ)は……」

―可愛らしいね。

頭を撫ぜる手は、優しくわたしの髪を梳き

指で掬い上げた髪の一房に触れる唇は 何かを呟いたようでした。

よく、聞こえなかったので訊ねたのに

「秘密だよ」

密やかに、微笑われてしまったのです。

「……時折、翡翠さんには勝てない気がするのです」

だから わたしは少し拗ねて…そう言ってみたのです。

でもそうしたら、目前の人は、さらに相好を崩して

苦笑まじりに

「一つ、教えてあげるよ」

と。






―古(いにしえ)…とまでは、流石にいかないけれど、昔のとある文豪が、自著の作中でこう書いているんだよ。



『愛嬌と云うのはね―

自分より強いものを斃す 柔らかい武器だよ』


と―




何のことやら…さっぱりだと思ったのですけど。

愛嬌だとか 強いものを斃すだとか 武器だとか。

どうしてわたしに言うのかも、わからないのです。

不思議な顔をしていたら

「負けているのは、いつも僕のほうだということだよ―」

貴方は、また微笑って

その笑顔がより近づいて





……それから後は その。

秘密、なのです……。



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『夕さり』・・・(古語)夕方になること。夕方。
そんなあっさりした意味なのですが、語感が柔らかくて涼しげな、その印象でも使ってみました。


秋です(爆)。内容ヘンですし、文章もただならぬ駄文なのですが、少しでもお楽しみいただけたなら、と思います。

話があっちやこっちに飛びすぎた感が強いって言うのは、まあいつものコトですよ(吐血)。

あ、誕生花というのは…文献・サイト等によって違うものなので、自分の知っているものと違っていても、
そっと見逃してやってくださいな。検索かけた中で、複数サイトで「秋の野芥子(のけし)」があったので、
このSSではその花を誕生花にしました。(^^ゞ

実は今回の女主ちゃんは主妹なのです。誰のか、というか、まあ男主が居て、その妹というコトです。

実は名前はあるんですヨ。遥歌(はるか)ちゃんと言います。

(こっそり裏話:大部分を書きあげたのは数ヶ月前・・げふげふん。放って置いたモノを手直し・加筆するにあたり、
…当初、まるで他人のSSを扱っているような気分を味わってしまいました←謎。)

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