+++「ここで」 眠気を誘われるほど日差しうららかな昼下がり…も過ぎた頃。 ところは天井が特別高い造りになっている屋敷の、其の一室。 此処は雹が住まう屋敷だ。村の中では、割合ひと気の少なめな建物ではある。 のだけれども、今日は少々、趣が違うようで。 ガンリュウをすぐ脇に従え、良い布で仕立てられた座布団に座る雹が居るのは当たり前としても、彼女に纏わりついている者がいて、そして其れは雪花だ。 …纏わりついているという表現が似つかわしいほど、くっついているのであるけれども。 雹自身は満更でもないのかもしれず、別段文句のある素振りも見せてはいない。 それどころか、何か言いたげに目をせわしなく動かす雪花の髪をあやすように指で梳いている。 ただ、それももう小半時も半分過ぎようかと言うほど、時間が経っていたりもするが…。 ―そろそろ、かのう。 普段扱う繰り糸よりも、随分と細やかな髪の毛を弄びながら、そう思う。 正直、このままでも悪くは無いと言えば悪くないのだが、それでは流石に、日が暮れてしまいそうな気さえしたものだから。 あまり留め置くと、”あの方”に心配をかけさせる。雹にとって、其れは駄目なのだ。 「さぁ、何用じゃ。言いたいことでもある顔つきをしおってからに」 かれこれずっとこの調子、わらわも終いには飽きるぞ。 冗談交じりに形の良い唇を小気味よく歪ませ、艶やかに微笑って見せるなら、目に見えてあたふたするのが愛らしい。 まだ心の準備が出来ていないとでも言うように慌てるのだ。 小さく幾つも声を上げては、縋る視線でもって懸命に訴える雪花の様子に、雹はくすぐったいような想いをおぼえ。 心密かに笑んだ女に漸く、おずおずと少女の唇が開かれる。 「雹姉さまにね、…折り入ってお願いがね、あるの」 「わらわにか?遠慮無く申してみよ」 「…」 雹を見てガンリュウを見て。また雹を見て。微妙に上目遣いなのが可笑しい。 「遠慮は要らぬぞ?何なりと言うてみるが良い」 雪花の目線に対して心のうちで笑いを吐き出しながら、雹のほうから切り出してやるなら。 …実にわかりやすく、雪花の顔が明るくなる。 「あのねあのねっ、ガンリュウに乗せて欲しいの!」 「ほう?これはまた…。奇妙な願い事を、申すものよのう…」 言葉尻にも困惑を色濃く押し出す雹とは正反対に、頼んだ側はぴかぴかの笑顔だ。 「雹姉さまみたく、高いところから色んなモノを見てみたいの。…前から、お願いしたかったの。え、っと…乗せて、くれる?」 「ほほ…。そのような願いであれば、容易いこと」 勢い良かったのは最初だけ。終いにはたどたどしくなる物言いに、雹は軽やかに笑って。 「本当に??良いのね?」 「無論じゃ。人ふたり程度なら、ガンリュウには苦も無い重さよ。…しかしなにゆえ、それほど緊張した面持ちで頼んだのじゃ?」 問えば、ゆっくり瞬きがされる。 「…ガンリュウは、雹姉さま以外の人は乗せないのだと、思っていたから」 「この村の者は誰も、”自分を乗せてくれ”などと頼みはせんからのう…。斯様なことを訊ねてきたのは、そなたが初めてじゃ」 ぽそりと呟いた雪花に、静かに受け答える雹。 「そうなの?」 ― なんだかさみしそう。 微かに眉を顰めた雪花が聞き返すと、雹は、ゆるりと頷き。 「先程は、思わず驚いてしもうたわ」 そして、柔らかく微笑った。 「さあ、そうと決まれば善は急げと言うであろう。表へ出やれ」 「うんっ」 ガンリュウに担がれた雹が先に外へ出、僅かに赤みを帯び始めた景色のなかで雪花を『上へ』誘った。 上。其処から視る、ものたち。 ゆるやかに沈みこむ陽の残滓にくるまれた森、家、…歩く、ひと。 それらの何と下方に在ることか。 ― これが。 小さく空気を震わせる、響き。 「これが、雹姉さまの見ているものなのね」 「そうじゃ」 「とても、とても…素敵ね」 ひどく大切なものを扱うかのような静けさがあった。 「…なにゆえ、そう思う?」 『このような何でも無いものを』 隣を見遣った雹がその一言を飲み込んだのは、雪花の瞳の揺らめきに心を掴まれたかと思ったからだった。 すべてを愛しそうに、それでいて見透かすように映しこむ。その壊れ物めいたうつくしさに息を吹きかけるのは躊躇われ、ただ言葉も無く魅入った。 …彷徨わせていた雪花の視線が雹に向き、伸ばされた両手が自分の手を取るまでずっと。 はっと気付いた雹に、雪花は、あのね?と囁きかけ、ふわっと笑んだ。 「胸が、奥の奥まですぅっとするの。今の私にはあらゆるものが違って見えて、ああこういうふうにも世は在りえるのだと、そういうことを私は知れた。だから、…だから、雹姉さまの見ているものはとても素敵なものだと思うのね。ガンリュウにも、ありがとうと言いたいの」 包み込まれた手に心地よいぬくもりを感じて、ふいに雹は切なさを憶えた。 それはもうとても永いあいだ置き去りにしていたものが、漸く還ってきたような。 実は喪っていた刻の流れとあたたかみが在ったのだということを知ってしまった切なさを。 「…わらわは、そうは思わなんだ。初めは生きることに、次いでは憎むことに必死で……そう、それだけしかこの腕に抱かれて思うことは他に無かったのじゃ。…心に余裕が無いとは哀しいことよの?このガンリュウが見せてくれようとしたものに、そなたとは違って、ほんに長い間気付かなかったのじゃな……まこと、勿体のうことをしていたわ」 物言わぬ静けさを湛えた人形を見遣る。 その腕は、来る日も来る日も雹を高みへ導いてくれていたと言うのに。 常には届かぬであろう視点を与えてくれていたのに。 あらゆるものをひろく見せてくれていたのに。 気付かなかった。…いや、気付こうとしなかったのだ。 すべてから目を逸らし、何をも受け入れず。 そうして、いつしか忘れてしまっていたのだ。映りゆくものから掬い上げるすべを。 …嗚呼。たぶん、多くの細やかな真実が在っただろう。 想うそれらは、もう今となっては知りえないことだけれども。 「…ぶだから」 「ああ、すまぬ。何ぞ申したかえ?」 深みに嵌りかけた雹を引き戻したのは、あたたかな呼びかけだった。 聞いていなかったことを謝れば、少女はゆるゆると首を横に振り、そうして再び微笑う。 「ガンリュウは、雹姉さまにもっとたくさん見せてくれるから。だって、これからもずっと一緒に居るのでしょ?だからね、…」 ― …だいじょうぶ。 握る手にきゅうっと篭もる力は、言霊と相まって、やさしく肌をあたためてくれた。 「…そうで、あろうか……ほんに、わらわはまだ間に合うかえ……?」 雹の長い黒髪がさらりと零れて、重なり合う二人の手を滑った。 「あのね…そう思えるうちはね、まだまだ間に合うものなのよ。もう間に合わないとさえ思わなければね、いつだって人の心は間に合うの。…きっとよ」 強く、それでもどこか儚げに聞こえたのは雹の気のせいだったのだろうか? ― …ああ、其れはきっと。わらわの中で響いたからであろ……。 なにゆえかうっすらとぼやける視界で、ただうつくしいものを想った。 ようやっと気づいた、うつくしきものを視た。 紅くたなびく薄雲のした、此処に在るものを。此処に居るものを。 これからを。 尊く、いとおしく想えたような気がした。 …他の何処でもなく、此処で。 |
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外法帖SS第六弾です。…あいかわらず時代考証無いなー…すみません。うっ。
雹です。姫です。カラクリ人形です!…あああ、ネタ出し自体は半年以上前だ
ったかと…ッ!!(アンタ…、何やって…)外法の女性キャラでは涼浬vに次い
で【愛】を捧げましたのに。いえ、愛は形じゃないですけれど…ですが、こうして
漸くひとつの作品になってくれて本当に良かったですー。何だかこう、相も変わ
らず雪花が出張ってますが、其処のところは、そっと見過ごしてください。(笑)
あ…あとそれから、雹の喋り方、オッケイですか?何だか、不安で不安で…。
かなり我流で喋らせていますが、違和感無ければいいなあと願うばかりです。
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「書こうよ!雹SS!!」と熱心に発破をかけてくださったTさんへお礼を込めて。
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