+++[ call from Eden ] 「…さしあたっては安全を確保」 緋勇が息を吐く。背後、皆守がまた違った重みの吐息を醸したものの誰一人それは気に止めない。 「わぁいっ。はい、タオルだよ!」 「良いタイミングだ、八千穂」 微笑い、片手にタオルを受け取る。暗視ゴーグルを外し、緋勇は冷たい水を口に含ませる。ゴーグルに押し上げられていた長めの前髪がはらりと落ち、その目元をうっすら覆った。 「はやくっ、早く!ゴーサインくださーい」 「すまんすまん。待たせたな、八千穂。さ、遊んでいいぞ」 唇を乱雑に甲で拭いつつ、苦笑して。 許可を得るやいなや、駆け出していく少女の後ろ背を緋勇は見守る。 「何してる皆守。お前もほら、遊ぶといい。危険は排除してある」 くつくつと笑って。八千穂から視線を動かさずに喋る。 皆守はアロマパイプに火を入れながら、その醒めた眼差しをよりいっそう強めた。花の香が甘く立ち昇る。 「餓鬼かかえた親かお前は」 「ま、少なくともこの遺跡の中ではお前らの保護者だ」 八千穂の持ち込んでいたタオルを拝借し、肌に軽く滲んでいた汗を拭く。そのため表情は窺えないが、くぐもる声はひどく楽しげな響きを醸し出していた。 「俺には要らない。― 俺を護るような人間は、要らない」 胸の奥に、ラベンダーの香りが溜まる。 「だとしても俺はお前をも保護しなければならない。探索に付き合うのを了承し、バディの枠を埋めるのならば、それくらいの干渉は仕方ないものと思え」 「干渉ね。解ってるじゃないかお前も。ま、いいぜ、甘んじてやる。大人だからな。お前の言う事はくだらないが、俺の不利益にさえならないなら、…おとなしく聞いてやらんでもない」 「大人か。…良く言う」 充てていたタオルを下した緋勇は微笑っている。まるで自分は遙か昔に子どもを卒業したような言い草だった。 「18だ、もう大人だろ。免許だって取れる」 「そうだな、…子どもの言い分だ」 「胸くそ悪い言い方だな。お前、本当は幾つだ?年隠して実は留年してるってオチを期待するが」 すぐには答えは返らなかった。緋勇の口元はやはり、微笑ったままなのだ。 「お前と変わらない。…老けてると言われると辛いな。顔立ちの所為か?お世辞にも童顔と評されたことは無いし、な」 「顔のつくりがどうこうじゃない。ものの考え方が古いんだ」 皆守の脳裏に、クラスメートの一人がよぎった。あれもまた、緋勇に似て妙に古臭いものの考え方をする。…少なくとも其の者は、内面に比例して相応の年を経た立派な留年学生ではあるが。 「期待に添えず悪いが、昔からこうだ」 ぼやかした会話だけが続く。 ― 本当なのか? いぶかしんだ皆守は口を開きかけ、微笑う緋勇もまた唇をさらに深く笑ませた。 「ねえねえねえ皆守クン!こっちおいでよー、学校の地下だなんて思えないよー、うわーっうわーっ、映画のセットみたーい!」 「…どう見ても本物だろ。つうか、新しいところに来るたんびになんでそう元気なんだ……」 皆守の、ぼそりと呟いた言葉など届きもしない。 二人を置き去りにして、八千穂は元気にはしゃぎまわっている。遺跡に響く声は明るくて、いや、むしろ明るすぎて。― 皆守は馴染めない。彼女の行動に付き合うなどありえないことだ。だから、八千穂から外した視線を再び緋勇に中てた。 ― この男。緋勇龍麻は、彼らバディの首根をやんわりと掴み、その行動を制御している。 部屋にひしめく化け物を片付けただけでは、その区画を歩き回ることを許さなかった。仕掛けの類をつぶさに調べた後で無いと、連れたるバディにはけして手を触れさせなかった。いつだって、晒すのは己が身であり、かの指だけが仕掛けを解き扉を押し開いた。 緋勇の用いるものは、強い制止ではない。なのに、緋勇が駄目だと言う声音は、仕草は、絶対的な圧力を持っていた。八千穂などは気付いていないのだろうが、皆守には解っている。ひとの上に立つ者しか持ち得ないものを、この男は纏っている。 緋勇は柔らかな笑みの絶えることなき口元で、やさしい声で、唱うように囁くのだ。 『まだお預けだ、若人たち』 ― たち、ってのは何だ。俺も含むのか。 皆守はひどく不快感を覚える。 …緋勇が振り向いた。長い前髪が揺れ、ほんの僅かはっきりと垣間見えた目元は微笑うようにたわむけれども。 皆守は、この男の見せる全てを、何一つとして信じてやるものかと思う。この胸にわだかまるどうしようもない不快感は、排除しなければならない。その根源たるこの男の存在もまた、然り。 「皆守」 緋勇の口元は微笑っている。再び黒く覆われてしまったその目は果たしてどんな表情を浮かべているものだろうか。 「皆守、お前がそうであるように」 唱いあげるかのように紡がれる言葉。 「俺もまだ、お預けだ」 「何が」 吐き棄てる。すべてが、どうしようもなく気に喰わない。その言葉も、態度も。 《宝探し屋》とて、いったい皆守の何を探り当てられるというのだ。どれほど鮮やかに遺跡を踏破してみせようと、ひとの内面はそうも簡単に暴けないはずだ。 同じように触れられてはたまったものではない。 なれど、喩え相対するものがひとであろうとも、この男の背には壁は無く、その歩む先には崖は無いと言いたげに、緋勇は悠然と構え、佇んでいる。 「― 俺に訊くか。」 皆守がどれほどに不機嫌さを深めても、この男はいつだって微笑っている。 「他に誰が居るって言うんだ」 あからさまにほそく目を眇めた。気持ちが苛立つ。吸い込むアロマの匂いは甘く気だるく脳に染みるくせに、薄紫の花を煎じたこの香りは肺に燻った。 緋勇はやはり、仄かに微笑っていた。唇の両端をゆったりと引き上げるようにして。応えは音にならなかった。砂と黴の匂いに満ちるこの空間で今、声を放ち空気を震わせているのは八千穂だけだ。 音の溢れない緋勇の唇は、皆守の目に話しかけていた。 ―― 『お前自身に』 遠くに、八千穂のうるさく呼び立てる声がするのに。 何故だろう、皆守の耳は眼前の男の、声なき聲を何よりも近くに聴いた。 |
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陛下…!!! おお黄龍陛下ばんざい。こういうお人を書くのは楽しいです。せいぜい皆守で遊びたおしていただきたい所存。振り回されるがいいわ甲太郎!(はっはー)…ほら、かわいいこはいじめたいって言うじゃないですか。(えへ)(えへじゃありません) 今回はプレストーリー風に、短く。時間軸としては遺跡に潜り始めた初期段階。ただ、この先どれほど好感度があがっても(笑)、呼称は基本的に苗字呼びかなと。姓で呼び合うのが好きなのです。そしてふいに陛下が皆守のことを「甲太郎」と呼んでくれればいい…!<いつの話ですか。 以後、黄龍なくーろんSSを更新する場合、主人公・緋勇の性格はこんなです。友人曰く、素敵に不遜な方。(すごい評価だな) |
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