月下の宴

 

 縁側と部屋を隔てている戸を、開け放つ。
 季節柄、そんなことをしていい気温でもないが。
 ―たまには良いだろう………。今日は…。
 「……いい月だ」
 雲一つ無く、そして冷たい空気で澄み切った夜空に、全てを包むかのような柔らかな光が広がる。
 「………君のようだね」
 今はいない、愛しい相手。この空で繋がっていると…何度も自分に言い聞かせて。
 部屋を少しずつ、夜気が満たしていく。月光の中、如月はゆっくりと縁側に腰を下ろし。
 「…あれから……もう二年か……」
 ゆっくりと流れる今。そして、今となっては、遠い過去のような…それでいて、最も鮮烈なあの半年。
 あれから二年。

 

 「何だ???やけに黄昏てんじゃねぇか…っと、今は夕暮れじゃねぇなんてツッコミは、劉の専売特許だからな、言うんじゃねぇぞ」
 「……戻ってきたのか」
 中庭に、見慣れた男が入ってきた。二年前とは、多少風貌に違いはあるものの、あの時と変わらぬ輝きが瞳に宿っている。
 二年ぶりに見る相手。お互いに、フッと口だけで微笑う。
 普通なら、感動の再開といったところだろうが…何しろこの二人だ。
 「…へッ、まぁな。むこうは、歌舞伎町ほど、おおらかじゃなかったってことよ」
 月を軽く見遣りつつ、どっかりと如月の横に陣取る。
 「……つまみ出されたか」
 「ま、そういうこった……俺の運は、衰えちゃいねぇぜ。…久しぶりに、麻雀でもするか??…ってメンツが揃わねぇ、か」
 「……壬生くらいだな、連絡がつくのは…」
 ついこの間、店に来たばかりだと。簡単に近況を報告してやる。村雨は、今の壬生の仕事内容を聞いても、ただ、無茶しやがる…と呟いただけで終わる。まあ、驚くことなど無い。この現代社会は、遥かな昔よりも…妖しの棲みやすい時代かも知れないのだから。
 そして、壬生ならば…負けはしないと。そう確信すら持てるのだから。…驚くことなど何も無い。
 それじゃあと、少し考えて…残りの一人の行方を村雨は尋ねた。
 「京一の旦那は……まだ中国から帰ってこねぇのかい?」
 「…みたいだね。…彼女が、帰っていないのが……何よりの証拠だよ」
 人気の無い、冷たい家屋。あの頃は、そこら中が暖かだったのに。今は――
 「……わりィな、そういうつもりじゃなかったんだけどよ」
 「いや、お前のせいじゃないさ……。僕が、自分で言ったことだ」
 茶でも用意してくる。そう言って立ちかけたのを、村雨が制した。
 「…俺が手ぶらで来るとでも思ってやがったか??……ほらよ、久しぶりに飲もうじゃねぇか」
 確かに、荷物には気付いていたが。そのなかから、日本酒が姿を現した。
 「……ずいぶんと上物じゃないか。一人で飲まないのかい??」
 銘柄を確かめて、本人に確認を取る。
 「誰かと飲みたかったのさ。…御門なんかは付き合ってくれねぇしよ?……あんたなら、一緒に飲んでくれんじゃねぇかってな」
 「……そうか。なら、つまみでも作ってくるとしよう……少し待っていろ」
 「おう」
 台所へと消えてゆく如月を確かめた後、ぼそりと村雨は呟いた。
 「今のあんたは…一人じゃ、酒なんて飲めねぇんじゃねぇのかい?若旦那」
 ―つまみが出来るまで…月を見上げて、らしくも無く過去に浸って時間でもつぶすか。なァ、…先生?

 

 秋刀魚の内臓を取って、筒切りに。
 鍋に入れて、ひたひたに梅酒とつけた梅を入れ、醤油も少々入れてあとは落としぶたをしてコトコト煮る。食べる時に梅と一緒にたべるととても美味しい。

 これは、少々時間がかかるので、その間に別のつまみでもと、冷蔵庫に何があったか考える。
 ―あれを使うか。

 (昆布と鰹節でとった一番だし8、お醤油(小豆島のマルシマ薄口醤油がオススメ)1、みりん(三州三河みりんがオススメ)1の割合で作った八方だしをいつも冷蔵庫に常備しておく。何でも使える。)

 キュウリ(皮をむいたほうがいいかも)の千切りとじゃこ(添加物のないものを選ぼう)と八方だしをたっぷりあえる。
 少し置いて、だしを馴染ませる(すぐ食べても美味しいけど)白ゴマをかけて、いただく。

 (注:私個人は、お酒飲めませんし、飲みませんし、大嫌いです(苦笑)。全ては若旦那のために調べました…。でも、このセレクトでよかったのか(爆)それでもって本当に美味しいのかも謎。ここを含め、以降のつまみに関する記述は嘘だらけ〜)

 とりあえず、和え物と、お猪口を持って縁側へと戻る事にした。じきに、秋刀魚の梅酒煮も出来上がるだろう。
 「…とりあえず、これでどうだ???あまり、つまみに出来そうなものが無くてな…」
 小さな文机を持ってきて、その上に置く。
 「いいってことよ。わざわざつまみ作ってくれるんだからな…で?奥から上手そうな匂いするじゃねぇか?」
 あれは何だと、ニヤニヤと笑って聞いてくる。わかっているだろうと、肩をすくめて、それでも如月は答えてやる。
 「時間がかかる…。急かさずとも、ちゃんとお前の口にも入るさ」
 「そりゃ良かった。…後で一人で食べるのかと思ってな」
 あの頃と変わらぬ、意地の悪い笑みを浮かべて、村雨は酒を開ける。何を馬鹿な事をと、苦笑雑じりに答えつつ、如月は文机を隔てて隣に座る。
 日本酒独特の匂いが、鼻腔をかすめた。
 お互いに、相手に注いでやる。
 村雨は一気に飲み干し、如月は二口程度で、一杯目を飲み干す。
 「……久しぶりだな。お前と酒を飲むのは…」
 また、お互いに注ぎあう。
 「二年は、長いか?」
 言外に、別の意味を込めて、村雨は問うた。長いかと。
 「…長いな。だが…顔を見れば、その二年も…」
 お猪口の中の液体に、映してみる。自分の顔と、浮かぶ月と。
 「……二年も?」
 あえて、視界から如月の顔を外して、村雨は先を促す。自分は、また月を見遣る。
 「無駄ではなかったと言えるよ。…逢えなかった時間は、それだけ、より大きな喜びになる……」
 自分に、答えるかのように。映った己の顔を見つめながら、言葉を紡ぐ。

 村雨は、酒を飲み込んだ。…言いそうになった言葉と共に。

 ―二年より長くなるかもしれねぇけどな。

 如月は、今度は一気に喉に流し込む。…泣き言と共に。

 ―それでも、今すぐに逢いたいと思う。……でも、たぶん…彼女は、まだ帰っては来ないだろう………。彼の地ですべき事を成し遂げるまで。

 「……皆、元気でやってやがるか?」
 無理矢理とも言えるような話題の転換。だが、村雨自身、聞きたかったことでもある。自分の居なかったこの二年。
 あの時、共に戦った……一生の仲間。ほとんどの者は、ここに残った。そして、彼女の居ない日本ではなく、彼女と同じく世界へと出た自分。どちらが正しいわけでもなく、どちらがより彼女を好きだったかというわけでもない。どちらも、彼女が好きだったから、未来を選んだのだ。
 その、選んだ未来を…少し知りたくなった。ただそれだけのこと。
 最新の情報ではないけれどね。そう断っておいて、如月は知りうる限りの一人一人の近況を話してやった。
 「とりあえず…皆…元気だ。ただ、あの頃と同じ場所に住む者は…減ったけれどね。けれど、変わらぬ場所として…彼等は、ここを訪れては、誰かへの伝言を頼んでいくよ」
 「なんだ、今は集会所から、伝言屋か。…本業がわかんねぇな」
 「失礼だな。今もあの頃も…僕は本業だけをやっているつもりなんだが」
 不機嫌さをわざと強調して答えると、村雨は、楽しそうに笑った。
 その様子に、自分も相好を崩し…そろそろだと、如月は席を離れ、台所へと再び消えた。

 ―だから、全てを終わらせた彼女に、帰ってきて欲しい。今すぐ逢いたい、その気持ちは消えないけれど。

 梅の芳香が、台所中に広がる。
 「……もう少し、か」
 菜箸で軽く煮具合を見て、これなら、いちいち戻ってくるより、ここで見ていたほうがいいだろうと、皿の準備をしつつ待つことにした。

 

 縁側。いつもは、こんなことはないのだが…頭上の月は、かの女のように、村雨の口を軽くさせるらしかった。一人で飲みつつ、ゆっくりと喋る。
 「なあ、若旦那。変わらねぇ場所があるから、安心して皆どこかへ行けるのさ。…俺も、あの浜離宮と、そこに居る奴らが変わらずそこに居るってわかってたから…世界へ出れた。先生も同じさ。あんたがここに居るから……今も、頑張ってるはずだ…」

 

 ―で、先生は?

 ―本当に祇孔らしいって言うか…。…私?…私は……しなくちゃいけないことがあるから。だから。京一と弦月と一緒に…中国へ行くの。

 ―だったら…若旦那はどうするんだ??

 ―……待っててくれるって。すべき事があるなら、それを済ましておいで…って。「僕は、ここで君を待っていてあげるから」って…。

 ―そうか。…先生なら、頑張れるだろうよ……達者でな。

 ―待っていてくれる人がいるからね…。祇孔も、同じでしょう?…特に……あの人がいるからね?

 ―…………まあ、な。

 ―くす……運試し、負けて帰ってきたら許さないからね。

 ―へッ。

 ―そうだ。わかってると思うけど……祇孔、いい??帰ったら、一番に逢いに行ってあげなきゃダメだからね

 

 『面倒くさがったりしたら、怒るからね』

 

 「わかってるさ…でもな、なんつーかこう…いざ帰ってくると…行きにくいっつーか、な」

 『祇孔、一番に逢いに行ってあげなきゃダメだって言ったでしょう…?何でここに居るのッ』
 「……へ?」
 昔へ想いを馳せていたせいか。月光が、幻を見せたのか。こぼれた酒が、指を伝わる。
 『何?…この世ならざるものでも見ましたって顔で、見ないでくれる?…失礼しちゃうな』
 「先生…なんでここにいるんだ?…しかも、んなことしてよ…」
 氣を消して、小声で喋って。それはまるで。
 「若旦那に気付かれたくねぇのかい?」
 さあっと、夜目にも鮮やかに、朱色に染まる頬が、肯定を如実に現す。
 「……へえへえ。お邪魔虫は、退散すると…」
 『祇孔ッ!!!!』
 「ん?」
 『逢いに行ってあげるんだよ?今、すぐに…』
 「……了解。じゃあ、な」
 軽く溜息をついて。ひらひらと手を振ると、荷物を持ってそそくさと逃げ出した。……酒は、置き土産で置いていったまま。
 ―さてと。しょうがねぇな……帰るか。
 しょうがないといいつつも、その顔は…実に幸せそうで。本当は、誰かに「早く帰ってやれ」と言われたかっただけなのだろう。
 「全く……祇孔ったら…」
 ―素直じゃないんだから。

 

 ―何をブツブツ言っているんだ…縁側で。つまみが遅いとかごねているんじゃないだろうな……?全く、あの男は…。
 いい具合に煮あがった秋刀魚を、梅と一緒に皿に取る。
 二皿を持って、縁側へ。

 

 柔らかな光で照らされたそこ。
 「……村雨………???」
 そこには、空になったお猪口が置いてあるだけで。居たはずの男は、姿を消していた。
 「………庭を歩き回っているのか…?」
 しょうがないので、持ってきたつまみをコトリと、静かに置いて、縁側へと下りる。
 裏口とは反対の方へ向きを変えたその時。
 背後に…さく、と土を踏む音がした。
 「……誰だ」
 氣を消せる存在。…思い当たる者はいるが、声をかけても応答が無いのなら。それはすなわち敵だ。
 『…………』
 「……………」
 応答は、無かった。
 ―沈黙で返す、か…。ならば、仕方ない。
 「僕は、今ここで死ぬわけにはいかないからね……おとなしく帰ったほうが身の為だよ…」

 「帰っていいのね…?ここ以外の場所に」

 「……!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
 「それじゃあ、さようなら」
 最後に見送ったあの背中。二度と振り返らずに、あの日この家から去っていった君。
 あの時と同じ。君は僕を見ない。
 ただ、違うのは……。
 「…帰っちゃうよ……。本当に」
 「君が帰ってくるのは、ここだけだよ」
 違うのは―君は立ち去ることなく、ここに居るということ。
 だから。
 近づいて……そっと、抱きすくめる。
 髪の匂いが、柔らかさが。
 そっと触れた肌の温もりが、感触が。
 暖かな、温もりが。
 この腕の中に君が居ることを、間違い無いと。
 「……君だ」
 我ながら、おかしい言い方だけれど。
 「私だよ…」
 自分でも、変な答え方だけれど。

 

 ―そうとしか、言えないのだから。

 

 「…お帰り」

 

 「ただいま…」

 

 

 

 二年の月日は、本当に長かったのか?

 今、ここにこうして二人で居ることで

 その二年は、まるで無かったかのように。

 逢えた喜びは、確かに

 でも、それ以上に

 ここにこうして二人で居ることで

 この二年は、まるで無かったかのように。

 

 

 「ところで、蓬莱寺君たちは…?」
 「…まだ中国」
 「…………」
 「先に帰ってきちゃった。あ、…全部終わらせたよ?ちゃんと」
 「…そう……なんで先に帰ってきたんだい…?」

 

 

 ………逢いたかったから。

 



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